リレー小説5
<Rel5.UK1>

 

 

  UK(イギリス)、イングランド、
  ロンドン、
  ウェストミンスター宮殿

 

「?………??」

英国首相クロッケ・ドノーズは茫漠とした意識を纏め、現状の確認に努めた。
目に映るのは白い靄の掛かったような光景のみ。
体は……動かない。音も聞こえない。
夢かとも思い、会議中に寝てしまったのかと訝しむ。
早く起きなければ。
そう強く念じると意識が徐々に鮮明になっていった。
だが彼は其の選択をすぐさま後悔する。
全身に鈍い痛み、すぐに身を裂く激痛と化す。
叫び声を上げようとするも喉が焼き付いたように掠れ声しか出ない。
耳が周囲の音を捉え始める。
絶叫、悲鳴、命乞い、断末魔。
そして一際大きな笑い声。

「ハハハハ!! ハーーーーーハハハハハハハハハァっ!!!」

漸く視界が回復する。
……クロッケは、自分が瓦礫の中に埋もれている事、
其処が恐らく、先程まで会議中だった英国国会議事堂ウェストミンスター宮殿の議場だった事。
そして自分の手足が折れ曲がり、一部はもげている事に気付く。
警備はどうなった? 何をしている?
ミサイルか何かで攻撃されたのか? 自爆テロか?
傷みと恐怖に支配された頭でなくとも、其のどれもが不可解。
能力者を想定に入れた警備、防護を徹底させていたはず。
彼等の常識では有り得ない事態だが、其れも当然だろう。
其処にいるのは彼等の常識の範疇から外れた存在だった。

「……ぁ……」

這い蹲る死に体のクロッケの直ぐ傍に、炎の柱が立っている。
其れは怪物の足。全身が燃え上がるオランウータンのような怪物が、笑い声の主。

「これだ! これだこれだこれだ!!
 体が動く! 俺の体だぁあ!」

怪物が腕を振るった瞬間、世界が炎に包まれた。
クロッケにとって幸福だったのは、
あまりにも不可解な光景を前にして混乱を来たし、
英国壊滅という絶望を知る余裕さえなかった事と、
更なる苦痛の前に体が原子の塵と帰した事だった。

「うおおおおおおおお! あっちいいいいい!!!
 はははぁっ!! この俺様は強ぇーだろが!」

腕の一振りは歴史と伝統あるウェストミンスター宮殿を瞬時に溶解、蒸発させてしまい、
宮殿周辺をも飲み込んで巨大なクレバスに変えてしまった。
運悪く巻き込まれてしまった英国人達は何が起こったかさえ解らなかっただろう。
僅かな蒸し暑さを感じた直後に、街ごと溶けて飛散してしまったのだから。

「この、この『モイシス・トコアル』の力を見ろぉ!
 虫けら共おおおぉぉぉ!!」

 

前支配者モイシス・トコアル
執筆者…is-lies

イギリスの防衛能力は何一つ効果を発揮できずに終わった。
人類に『結晶能力』が齎された直後の能力者犯罪と同様、
『新しい力』に対して、其れまでの知識や経験は全く生かされない。
況してや『彼等』は、
結晶能力を十二分に扱えていた超古代火星文明でさえ持て余す手合いだったのだ。




  UK(イギリス)、イングランド、
  ウィルトシャー、ソールズベリー、
  ストーンヘンジ。

 

有名な巨石遺跡を前に、騎士が呟く。

「……遺跡か」

中世の甲冑を異形にしたような、そんな騎士の下半身は四つ足を備えた明らかな異形であり、
遺跡の調査を行っていたオカルト学生グループは、この突如現れた謎の異形騎士に泡を食っていた。

「な、何なんだアンタ。
 まさかアンタが……」
「グレイ!?」「エロヒム人!?」「レプティリアン!?」「ジヌー!?」「ヴリル=ヤ!?」

何か勘違いしてる学生達を無視して、
異形騎士はストーンヘンジの中央を見遣る。
彼の目は其の地下深くに埋没してしまった超文明の遺産を捉えていた。
トル・フュールの粛清によってエンパイリアンは地球へと追い遣られ、
こうして隠れながら再起の時を待っていた。
時代の流れの中で多くのエンパイリアンが脱落し、
無人となった遺跡が置き去りにされ、トマソンと化している。

「(ヴァンフレムとやらの言っていた通りだな。
  ……今のエンパイリアンは何も知らない赤子も同然。
  ふふ、面白い。このカードは後々我等の切札となるだろう)」

異形騎士が振り返る。
其処にいた筈の学生達はもう居ない。
立ち位置さえも其のままに入れ替わったように佇んでいるのは異形の集団。
異形騎士の魔力で変貌し下僕となった元・学生達である。
S-TAが『エネミー』と呼んでいた改造人間の類を、即興で再現したものだ。
こんな簡単な事さえも、S-TAは時間をかけて行わなければならないのだから、
何とも不便な連中だと呆れつつ、
異形騎士は手にした邪剣の切っ先を北方へと向けて言い放つ。

「北西へ……進め。
 ベイルス家とやらを滅ぼすぞ」

 

前支配者アウェルヌス
執筆者…is-lies

イギリスは混沌の坩堝と化していた。
数分前までは変わらぬ一日だった。
人々は能力者国家S-TAによる世界の変化を憂いつつも、
朝の陽光に包まれ職場へと向かい、賃金や上司に不満を垂れながら働き、
同僚と共に一杯引っ掛けて帰路につき、一日の疲れを眠りで癒す。
そんな変わらぬ日々。
だが今日が日常として終わったからといって、明日もまた同じになる根拠など無い。
世界は常に奈落と隣り合わせであり、一寸先は闇に他ならない。
惰性に日々を生きる者は其の瞬間と対面し、初めて己を悔いるだろう。



  UK(イギリス)、イングランド、
  サマセット、バース、
  ローマ浴場跡博物館。

 

「フハハハハハ!」

観光客で賑わっていたローマ浴場跡博物館に、男の笑い声が響き渡る。
英国で唯一、温泉の源泉が噴出した為、
旧世紀ローマ時代の一大温泉施設となっていた浴場は、今も湯張りされているが、
其処にあるのは、数秒前まで温泉だった……怪しげな泡の浮かんだ毒々しいなにかでしかない。
そんな液体を頭まで浴びながら浴場の中で独り燥ぐ男は、
実に楽しそうに笑いながら水泳の真似事をしてみせる。
半裸であり下半身に白い腰布を纏い、上半身には怪しげな古代文字らしき文様が刻まれている。
そして黒い翼のようなものが9枚ほど、その背後で妖しく翻っていた。

「て、天使様……?」

ローマ風の衣装を纏った係員が、謎の男を見て呟くが、
其の黒い翼は天使というよりは堕天使を彷彿とさせる。

「この身に遍く奔る血の流動……
 神経が私を此処へと規定し、内なる魔力は視界の端から端まで伸展する。
 全身を地へと押さえつけ確りと私を留めてくれる重力、
 涼風の心地良さ、肌を流れる水のこそばゆさ、何から何まで愛おしい!」

端正な顔に黒い長髪……美形と称して良い其の男は、
ふと思いついたように観光客達の方を見遣る。

「虫けらの諸君。
 私は今、頗る機嫌が良いのです! フフフ、無礼講と行こうじゃありませんか!」

堕天使の魔力を秘めた……爬虫類染みた目から、誰一人視線を逸らせなかった。
蛇に睨まれた蛙というべきか、あまりにも存在のレベルが違い過ぎる相手を前にして、
声をかける、逃げる、捕まえる、攻撃する、無視する、隣人と殴り合う等、諸々の判断を全て放棄してしまった。
何をすれば良いのか解らない。判断を放棄した彼等は唯の人形でしかなく、
正に其の在り方故に……堕天使の洗脳を受け入れ、
浴場に整列し、一斉に得体の知れない液体の中へと飛び込み始めた。

 

前支配者アゼラル
執筆者…is-lies

積み木を重ねる労力と比べ、崩す労力は無きにも等しい。
人を生かし続ける労力と比べ、殺す労力は無きにも等しい。
平和を守る労力と比べ、平和を犯す労力は無きにも等しい。
そして、そういった破局は大凡、極一握りの人間の意図によって行われる。



  UK(イギリス)、イングランド、
  サフォーク、レイクンヒース、
  レイクンヒース空軍基地。

 

「どうしたというの!?
 ロンドンは一体どうなっているの? 応援は来ないの!?
 天変地異? 其れともS-TAの攻撃っ!?」

アメリカ人の基地司令官キャリーが頭を抱えて絶叫する。
レイクンヒース空軍基地は英国の基地ではあるが、在欧アメリカ空軍の戦闘航空団のみが駐留している。
そんな彼等がいたというのにイギリスを攻撃されたとなれば大問題だし、
況してや首都ロンドンがどうにかなってしまったとなれば……
だが、キャリー司令官の問い掛けに応えられる者などいない。
ロンドンから放たれた熱波は遠く離れたサフォークにまで及んでいた。
電波障害に加えて結晶通信も沈黙……
S-TAからの攻撃が真っ先に想像されたが、防空網は何も捉えていなかったし、
瞬間移動能力だとしても結晶能力者による妨害を素通り出来るとは考えられない。
……結局、彼等もそう。
慮外の超常を受け入れ分析する程の柔軟さ……荒唐無稽さを持ち合わせてはいなかったのだ。

よって彼等は目の前にある光景もまた信じられなかった。
滑走路に現われた異形の存在を。

「くっくっく……愚かな人形共よ。
 神の降臨である。
 恐れ戦き敬うのだ!」

其れは最初、野良エネミーだと誰もが思っていた。
見た事のない種類だが、基地の中に踏み入った以上は排除しなくてはならない。
念の為、麻酔銃で捕獲を試みるが……
どういう訳か、異形の直前で銃弾は力を無くしたように静止し滑走路に落ちてしまった。
異形は狼狽える米兵達の許へ悠々と歩み寄っていく。
恐怖に駆られれば後はお決まり。
能力者米兵による異能、銃による集中砲火、
野良エネミーが喰らえば跡形も残らないような攻撃も、
其の全てが異形の目の前で無力化されてしまう。
目を剥く米兵達をせせら笑うよう、異形は口を歪めながら指を一本だけ立てる。
爪先に収束された魔法弾は、その小ささに反して太陽のような輝きを放ち、
周囲は真昼よりも尚明るい、暴力的なまでの光に晒された。
裸眼で見た米兵達は瞬時に目を焼かれてのた打ち回り、
放たれた魔法弾が基地に着弾すると同時に、全ての苦痛から解放された。
衛星高度からでも視認観測できる程の爆発は、
一撃でレイクンヒース空軍基地を地図から消し去ってしまった。

尋常ならざる力の怪物は、クレーターとなった基地跡を見渡し、
己の力の極一部に過ぎない其れで脆くも崩れ去った人間達を嘲笑う。
其の傲慢さと油断は、
異形が踵を返した直後に結果となって現れた。
地面を砕いて異形の背後に現われたキャリー司令官である。
だが其の体は先程までと違い、全身がグツグツと煮立つ溶岩のような人型となっていた。
彼女は、能力者である自覚を持たない能力者だった。
異形の恐怖、部下の死、生命の危機、感情の爆発……後、出来れば少女、
そういった、後天的な能力覚醒……通称『イヤボーン型覚醒』に必要な条件が揃い、
此処に能力者キャリーが誕生した。
其の力もまた目前の脅威に立ち向かう為のものであり、
『受けた力を自らの力に変える』。
……あまりにも巨大な力を受けた為、
後数秒もしない内に自壊するであろう自覚があったのか、なかったのか。
確実なのは、キャリーは自己の変化さえも思慮の外に放り投げ、
命全てを賭して憎き異形へと特攻を仕掛けた事だけだ。
異形が放った魔法弾と同等の破壊力を秘めたチャージアタックにより、
キャリーは爆散……クレーターの上にクレーターが上書きされた。
彼女が命を捨ててまで成し遂げたのは、其れだけだった。
掠り傷一つ無い異形が事も無げに言う。


「フッ……そんな攻撃、我には効かん」



前支配者カンルーク
執筆者…is-lies

積み上げて来た如何なる理屈も通用しないイレギュラーによる破滅は、
イレギュラーの排除によって回避できる。
そう考える者も多い。
だが現実はイレギュラーの侵攻を許し、今まさにこうして英国が崩壊に追い遣られる。
イレギュラーの発生は其れ其の物が『流れ』であり、
既存の世界が硬直しないように働く『ごく当然で真っ当な機能』に過ぎない。



  UK(イギリス)、イングランド南部、
  イギリス海峡海上。

 

「やれやれ、困ったものだ。
 マハコラとの契約を解っているのか?」

マハコラが前支配者にまず与えたのは会話用の霊体。
そして会話が出来るようになってから、マハコラの幹部が交渉を仕掛けて来たのだ。
『肉体を与えるので、ベイルス家という一族を滅ぼして欲しい』と。
容易い話だ。
何より、肉体さえ手に入れば後はどうにでもなる。
其れだけの力を持っている。
そして、
其れだけの力を以てしても、肉体が無ければ何もできない。
『怨敵』に付けられた呪い……傷跡は深刻な域にあったのだ。
マハコラが前支配者に提供するといった肉体には、幾つかの制限があったものの、
前支配者の肉体に対する渇望は、マハコラに対し『YES』以外の返答を許さなかった。
そして顕現。
目の前にいた4人こそが前支配者との契約者。
リヴァンケという仮面の男、バルハトロスという白衣の男、
ヴァンフレムという髭面の男、マチルダという白衣の女。
この4人とS-TA……良い手駒になるだろう。後で『直属』にしても良いかも知れない。
肉体を得た前支配者も、今という時代についての興味は多少あるし、
何より早く体を動かして暴れたいという衝動があった。
其処に来てマチルダが前支配者の行動予定前倒しを告げ、
こうして彼女の要請に応じイギリスに赴いたという次第だ。
併し、地球の存在さえ知ったばかりの前支配者では、
正確なテレポートが出来ずに、多少の距離をおいてイギリスに顕現する破目になった。
しかも同志の内2名程が衝動に身を任せてイギリスの攻撃を行っている。
イギリスは敵国という事らしいが、別にマハコラからイギリス攻撃を推奨も禁止もされていない。

「ま、良いか。
 この島を平らにする程度で我慢するだろう」

そんな前支配者の中にあって、ヘルルの立ち位置は聊か奇特だった。
他の前支配者達が己の力を最大限に発揮できる肉体を所望したのと違い、
ヘルルは自分の体として霊体のみ欲した。
確かに前支配者ならば、この霊体だけでも十分な力があるのだが、
やはり肉体がなければ出来る事に限界がある。
事実、今のヘルルの戦闘力は精々が下級神魔クラス。
今のイギリス軍でも本気を出せば倒せてしまいかねない程度だ。
尤も、前支配者にとって肉体の死など大した意味もないが。

「なんたって馬鹿馬鹿しい。
 まただよまた。
 力に群がるバカ、バカ故の失敗、バカばかり。
 火星の頃と全然変わっていない」

古代火星人は自分達が作り上げたシステム・セイフォートを用いて絶対の権力を持とうとした。
だが……結局、人間という有限の者は、セイフォートという無限を扱い切れなかった。
絶対の力を備えた火星王となる筈だった7人は、無限に触れた事により有限に過ぎない己の器を破綻させた。

……人が未来に進むとするのは未来に可能性を見出せるからだ。
だが其の未来が奈落だと『知ってしまえば』、もう未来には進めない。
非力を知り、思い通りにならないからこそ力を求める事が出来る。
だが超常の力を持った者は自分の完全性故に目的を喪失してしまう。
有限の器は『虚無』を目指す事が出来ない。受け入れる事も出来ない。
其処に意味を見出せなければ次の一歩さえ踏み出せない。

無知こそは幸いだった。
非力こそは幸いだった。
有限こそは幸いだった。

「そう思える私は……軽症だったという事かな。
 ゼムセイレスは人形状態、
 アゼラルはもう吹っ切れちゃって暇潰ししか考えてないし、
 アウェルヌスは一縷の望みを託して『鷲ども』の世界なんかを求めてるし、
 他の皆も五十歩百歩。なのにまだ……まだ、また、こうして引っ張り出される」

いっそ他の6人と同じくらい重症にさえなれれば、
このような煩悶を抱え込まずに済んだだろうにと自虐する。
異界の魔王・前支配者という肩書と不相応な其れも或る意味仕方が無い。
時の縛りさえも失った彼等には、狂う以外の選択肢などないのだ。
人とは可能性そのものだ。
殺すのは人の持つ可能性。
生かすのも人の持つ可能性。
憎むのが人の持つ可能性ならば、
愛するのも人の持つ可能性だ。
人は其の全ての可能性の中から己の意志に合致するものを決定し、己を定義し、
そして最後の時……死を以て後世の他者からも決定される。
其処に時の縛りが無ければ?
永遠の時を愉しめる?
違う。
あらゆる可能性が暴風の如く己を削り散らしていく他無い。
時が無い以上、この拷問に終わりも無い。
よって変質する以外の道を持たない。
選択肢に満ち溢れながらも選択肢が与えられていない。
永遠に決定されないと永遠に決定される。
其れは恐らく『永焉』と呼んでも良い虚無の地獄であった。

 

「……死にたい」



前支配者ヘルル・アデゥス
執筆者…is-lies

人類にイレギュラーが存在しなければ新種の病一つで全滅に追い込まれる危険性さえ否定できない。
異なる存在故に種を保存できる可能性が高まるならば、
そのイレギュラーが起こすであろう凶行や混乱など安いもの……という訳だ。



  UK(イギリス)、イングランド、
  オックスフォード。

 

「ち、畜生!
 何だっていうんだ一体っ!?」

肩で息をしながら其の場に崩れ落ちた男が叫ぶ。
さっきまで街は平和だった。
尖塔の街として多くの聖堂を抱え、
観光客と彼等を相手にする商売人で賑わっていたオックスフォードの面影を、
今の、地平線まで続くような荒地から想起する事は出来ない。
茂みで日光浴をしていた男が見たのは、天から降って来た翼を持つ獣……
『Hope』の影響で現れた神魔の類に、こういった神獣がいる事は知識として知っていた。
だが、其の力は……
光のような翼の一振りで聖堂を、人々を消し飛ばし、街の地形さえも変えてしまった。
しかも空からは野良エネミー達が、まるで先の神獣に率いられているかのように整然と飛来し、
何とか生き残った人々を無差別に襲い始めたのだ。

「ひぃ!」
「もう……駄目だぁ!」

逃げ出した住人達はエネミーによって追い立てられ、北方の平原で包囲されるに至る。
視界を埋め尽くす絶望の群れは、どういう訳か此処に来て動きを止め、
続いて一部が左右に分かれるようにして一体の異形の為に道を開ける。
言わずもがな。
エネミー達を統率しているらしい神獣だ。

「生き延びられたのは、これだけか……
 使えそうな魂も無い。
 処分だ」


前支配者プロノズム



神獣が翼を振り上げる。
オックスフォードの街を粉砕してしまった先の一撃を受ければ、
この数百人程度の民衆は一人残らず息絶える。
民衆も其の事は理解しており、己の死を覚悟して強く目を閉じて最後の一撃を待った……が、

「?」

突如の爆発を受けてエネミーの一団が消し飛ぶ。
轟音で一時的に耳が麻痺した民衆達が何事かと周囲を見遣ると、
西の空にぽつぽつと浮かぶ幾つもの影が目に入った。
其れが小型空中戦艦の群れであると気付いたのは、
更なる砲撃でエネミーの包囲が破られてからである。
事態の把握に努めていた民衆の脳は、空中戦艦らをイギリス軍と認識し、
我先にと包囲から抜け出し戦艦の方へと向かっていく。

《愚民共よ。もう恐れる事はありません》                                                                                                                                                                                                                                                                          とか言いながら自分は恐怖のあまり発狂寸前大絶賛洪水警報発令中。だ、ダムが決壊す……ビシャビシャビシャーーーー!!!

戦艦群の先頭にある一際大きな空中戦艦が、
其の巨体にゴチャゴチャと取り付けられた拡声器でもって民衆に応える。

《私はディノラシオール……
 ディノラシオール・ヌマ=カイセ・チャーヤム。
 これからイギリスに代わってお前たち愚民共を導き護ってやりましょう》                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                ブリッジの中では不敵な笑みを浮かべつつ恐怖のあまり失神卒倒寸前でしめやかに失禁するイケメンの姿があった。

声の主は妙に……この異常事態に何ら狼狽えた様子もなく涼しげに言ってみせる。
冷静に考えれば、其の言葉の内容には疑問符が付くはずだし、
神獣の恐るべき力を知る民衆が、これしきの戦力では安心できない事も知っている。
だが、其れでも……この訳の解らない絶望的な状況に現われた友軍だ。歓迎出来ない訳がない。
そして……

「……」

件の神獣は無言で戦艦群を眺め、
其れ以上は何もせず、翼を広げて北へと飛び去ってしまったのだ。
指揮下にあったエネミー達も慌てて神獣を追って走り去り、
瞬く間にオックスフォードの地から異形の存在が一掃されてしまった。
民衆達は其の急な展開の移り変わりに暫し茫然とし……次に歓声を上げた。

「……お、おおおおおおおおおおおおおおおっ!!?」

訳が解らない。
だが其れは最初の異形の降臨の時点でそうだった。
理不尽な災厄を、理不尽な僥倖が掃った。
……其れは本来、受け入れてはいけない代物。
理を以て掃うからこそ、理不尽な災厄も理に組み込まれる。
だからこそ次の災厄も同じよう理で以って掃えるのだと知る事が出来る。
だが、理不尽を理不尽で掃う事を受け入れてしまえば……
其処にはではない、別の何者かが居座ってしまう。

ディノラシオール家……英国の理に代わって居座った何者かであった。
恐らく其れは『宗教』と呼ばれる。

 

世界は無変化を拒む為、常に変化を求める。
イレギュラーは世界に望まれて誕生し活動する。
世界は秩序ではなく混沌を望んでいる。
執筆者…is-lies

  S-TA、セントラル州、
  首都エルダーシング・シティー、
  大統領府、会議室

 

「一体、一体どういう事だこれはっ!?」

S-TA最高幹部の緊急招集で真っ先に呼び出されたのは、、
マチルダ、オルトノア、ヴァンフレム、リヴァンケら、前支配者復活に携わった面々だ。
怒髪衝天。
アデルの全身から迸る気迫に、流石のオルトノア達も余裕を色褪せさせて表情を引き締める。
癇癪を叩きつけて自分の席を粉砕した為、
独り会議室で直立したままアデルは興奮の自制を試みる。
併し容易にはいかない。
震える肩、其のまま己の掌を砕いてしまいかねない拳固、
罅が入らんばかりに噛み締められた奥歯、顔面の表情筋がどうしても内心を表現してしまう。
対ベイルス家用の作戦を立案中だったというのに、
どういう訳か、前支配者達は勝手にイギリスへと侵攻。
そしてイギリス壊滅……
想定外にも程がある。

「貴様らァ……
 私を一時だけでも納得させられる言い訳ぐらいは、
 当然、用意してあるんだろうなぁ……?」

重鎮達はイギリスから降伏を得られない状態になった事を問題視していたが、
アデルにとってイギリス壊滅はどうでも良かった。
所詮は非能力者に与する、遅かれ早かれ淘汰される古い国家だ。
仮に降伏されようが、其れを受け入れる積りも条件を付ける積りも無い。
四の五の言わずに滅んでくれれば其れで良い。
アデルにとって問題なのは、前支配者が全く制御下に置かれていなかった事だ。
解り易い力だし、制御の目途もあったとマチルダ達が大口を叩いていたというのに、
これでは役立たずのシステム・セイフォートと何ら変わりがない。

会議室に備え付けられたモニターには、
前支配者達の視認した光景が投影されていいる。
絶大な力……其れは解る。一目見て解る。
だが其処にS-TAの道具としての有用性を見出す事は不可能に近い。
イギリス国家中枢を消滅させて高笑いしているモイシス・トコアル、
ただ戯れに人間を操っているだけのアゼラル、
其処等辺をクレーターだらけにして踊ってみせるカンルーク、
街々を襲って無差別に市民を殺し回るプロノズム、
何もせずただただイギリスの惨禍を眺めているヘルル・アデゥス、
話にならない。
黙々とベイルス家に向かっているアウェルヌスなどは例外と言っても良い。

「……この失態については我々一同、申し開きの余地も御座いません。
 併し、責任の追及はいつでも出来ます。重要なのは一刻も早く前支配者を止める事です」

「むぅ……」

アデルとしてはイギリスなどはブリテン島ごと消し飛んでも一向に構わないのだが、
能力者国家S-TAが無差別攻撃を行う事によって、
世界中の非S-TA能力者達から不興を買うのは今のところ避けたい。
飽く迄、前支配者は制御可能な力であり、
イギリス崩壊もS-TAの想定内としておかねば、
無差別攻撃を恐れた非S-TA能力者達が非能力者陣営に加わってしまう可能性がある。
能力者による能力者の為の能力者による国家S-TA……というコアバリューが崩壊しかねないのだ。
戦争初期に於いて、それはマズイ。

前支配者達の肉体にはS-TA側で制限を与えられており、
全力を出せなかったり、S-TAには攻撃できなかったり、
活動限界時間が設けられていたりしているはずなのだが、
現状の暴走を招いた結果から、とても信頼できるものではない。
前支配者が何かの気まぐれで、
大陸をも瞬時に滅ぼすとさえ伝えられる力を発揮してしまえば……
もう能力者国家どころではない。
最悪、S-TAまでもが巻き込まれて消滅してしまう。
前支配者の力の程はモニターの映像で嫌でも解ってしまう為、
其の最悪の事態を脳裏に浮かべるのは容易……
今更ながら前支配者の召喚は下策だったかと汗みずく面々。
其処に……

「?
 ……な、何だこれは?」

其れは前支配者プロノズムから送られた映像だった。
プロノズムの前に立ち並ぶ無数の空中戦艦は、
最初イギリスの軍が前支配者鎮圧の為に出動したものかとも思えたが、
機体の何処にもイギリス所属を示すペイントが見当たらない。
一体何者かと訝しむアデルだったが、
其の正体を考えるよりも先に、戦艦側が名乗った。『ディノラシオール』と。

「あのディノラシオール家か!?」

イギリスを拠点とする大手エンパイリアンだ。
S-TAに参加していないという点はベイルス家と同じだが、
ベイルス家と違って隠居している訳ではなく、其れなりに勢力は強化していた。
群なす空中戦艦が其れなのだろうが……
この程度ではプロノズムの翼の一振りで全滅してしまうのが眼に見えている。

「(ディノラシオール側もプロノズムの力は見ていたはず……
  何故、こんな自殺行為を?
  ……というか、この艦隊はプロノズム用に出撃させたのか?
  イギリス軍でなくとも対応が迅速に過ぎるぞ……?)」

疑問符ばかりで満たされるアデルの脳内議場など知らぬとばかりに、事態は動き続ける。
恐れる者など無いはずのプロノズムが何を思ったのか、
ディノラシオール艦隊の前から逃げ出すように飛び去った直後、コール音。
何の音だと一瞬、モニターに目を凝らすアデルだったが、
直ぐに映像の中ではなく、現実のS-TA会議室に緊急の通信が入った事を理解した。

《アデル首相! イギリス国営放送がジャックされています!
 テロリスト集団が全世界に向けて声明を発表しました!》

続いて映し出されたのは……ディノラシオール家の当主。
其の作り物めいた端正な顔は、何処か隔世の感を抱かせる浮世離れした微笑を湛えていた。
同じ世界を共有できていない或る種の優越感、物乞いを内心では見下しつつ手を差し伸べる類の余裕、
ブラウン管の中の犯罪者を評論する大衆の如く、其の顔は自らの絶対的な安全と優位を疑っていない。                                                                                                                                    顔だけはだ。フレームアウトしている下半身は滂沱の小便を流し、穿いているブランド物のズボンにアンモニア臭をこれでもかと染み込ませている。

《哀れで愚かなる諸君。ごきげんよう。
 我等は『反乱軍』です。
 何に対する? この理不尽な世界に対する反乱軍です。
 能力者と反能力者の軋轢による戦争だなど下らぬ戯言……
 結晶を独占しようとする国が醜く争っているに過ぎません。
 この惨状は全て『旧』政府の暴走の結果です。
 彼等の行った非人道的な能力者実験の暴走によるものです》

ブチ撒けられた陰謀論は稚拙にして眉唾。
到底、世界に向けて発信して良いようなレベルのものではない。
明かなデマゴーグ。
だが、英国政府は既に壊滅しているし、英国軍もすぐには来れない。
現状の寄る辺ない英国市民達を其のまま抱え込む一種の洗脳劇場が成立してしまっていた。

《これら悪逆な国家共が能力者排斥運動に便乗しているに過ぎず、
 我々は其れを憂いて立ち上がったのです。
 最早、イギリスなどという国は存在しない!
 これから我々が正しい国を築き導かねばならない!
 私、ディノラシオール・ヌマ=カイセ・チャーヤムは、
 此処に『ベルトン』国の新生を宣言する!》                                                                                                                                                                ディノラシオールの脳内風景→「(石仮面を取り出し)おれは人間をやめるぞ!」ジョジョ〜〜ジョボジョボジョボジョボ!!「うわぁ〜!別のやめ方にしてくれディノ〜!」

ディノラシオール家がエンパイリアンである事を知るアデル達からすれば、
この放送の意義もエンパイリアン御約束の国家乗っ取りと理解も出来る。
だが問題は其処ではない。

「……馬鹿な、どういう事だ!?」

まるで、
前支配者の襲撃を予め知っていた……
そうとしか思えないような対応の早さ。
そして顔面蒼白になったマチルダの脳裏に浮かぶ第二の問題。

「そんな……有り得ない……!
 だ、だって……」

「「「だって?」」」

掠れたマチルダの、首を絞められた鶏の悲鳴にも似た呟きに、
ヴァンフレム、リヴァンケ、オルトノアが声を揃えて先を促す。
其の眼は酷く乾いており何の感情も読み取れず、それどころか逆に、
眺められているだけでマチルダの中に渦巻く諸々の秘密が吸い取られてしまいそうだった。

「い、いえ……は、早いなと……」

玉のような汗を浮かべて毒にも薬にもならない感想で誤魔化すマチルダ。
『だって……』前支配者投下を前倒しにしたのは完全にマチルダの独断だ
他の連中に感付かれない内に前支配者を処理すべく、
JHNを使って前支配者の認識を操作し、イギリスに特攻させた。
この日、この時間に前支配者がイギリスを攻撃する事実を知っているのは、
全ての黒幕であるマチルダのみ……の筈なのだ。

「(どういう事!?
  しかもプロノズムの奴、明らかにディノラシオールって奴への反応がおかしい!)」

数分前までJHNで前支配者を支配出来ていると確信していたマチルダは、
其の自信を粉微塵にされたショックを受けつつも状況の整理を行う。

「(確かディノなんたらはクリスとかいうのと交渉してたって奴よね?
  S-TAから遅かれ早かれ攻撃を受ける事は読めていたかも知れないし、
  あれだけの戦力を整えていたのも……まぁ、解らなくはないわ。
  オーディア家なんかも奥の手のバケモノを所有してるって話だし。
  でも、でもタイミングが良すぎる。しかもアイツ、英国崩壊をもう知ってやがった……
  ……まさか、前支配者に付けた機能が何かに利用されている?)」

マチルダがカリプソを使って前支配者に施した仕掛けは次の2つ。
@JHN音波受信型……特定音波によって対象を操作する。音波は通信を介しても有効。
A通信機能……マチルダから一方的に前支配者に通信を仕掛ける為のもの。
やはりというか、JHNが最も怪しい。
確かにJHNの支配力は強い。だが、この特定音波というのが厄介な所でもある。
要は同じ音波を使えば第三者でも干渉可能だし、そうなれば予測不能な行動に出る可能性もあるという。
ディノラシオール達がこの音波を発していたとするなら、プロノズムの不可解な撤退も一応は……

「(いやいやいや、有り得ないでしょーが!?
  音波周波数は私が設定させた! ディノなんたらが知れる所じゃないし!)」

となればもう、考えられる可能性は限られる。

「(カリプソ……アイツ、何かポカやらかした?
  そ、其れともカリプソこそが……)」

前支配者を支配していたというのが思い込みに過ぎなかったよう、
男を支配できるという事さえ思い込みに過ぎなかったのか?
どんなに恰好を付けようが一皮剥けば所詮大同小異のオスに過ぎないという、
男への蔑視が多分に含まれた評価は、これまでのマチルダの経験則から来るものだった。
今までそうだったから、今度もそうなる。
マチルダは其れこそが再現性を重んじる理論的な真実だと思い込んでいた。
だが根っこを発見しないままでいた。
何故そうなるのかの原因を無視して自分の優位に酔っていただけ。
結局、原因を見ずして結果を語る事は出来ず、
逆に其の因果がこうしてマチルダの前に立ち塞がるように現れた。

「……ま、まずは前支配者よ。
 何とかして止めなきゃ」

S-TAの機械工学者でありマチルダが手先にしていた男、カリプソ……
此処で彼についての話題など出せる筈も無い。
カリプソの行動を調べれば、連鎖的にマチルダの独断に話が来てしまう。
よってマチルダはディノラシオールの行動から注目を逸らすべく、前支配者の危険性を強調した。

「うむ、S-TA側の通信は依然、受け付けていないのか?」

「ええ……何の応答もないわ」

マチルダの仕掛けた専用回線とは別に、
S-TAが同意の下、前支配者の肉体に仕掛けた通信機能も沈黙。
こうなっては……

「こうなっては、直接口頭で前支配者に撤退を指示せねばなりませんな」

街を一瞬で蒸発させたりする怪物達の傍に行って……
あまりにも無謀だし、そもそも前支配者が従わない可能性もある。
此処にいる重鎮達の誰もがリスキーな案だと思うのは当然。
だからこそ、其の案をヴァンフレムが提唱した事に、全員が彼の正気を疑った。

「……誰が行くというのですか?
 前支配者が顔を知っている人間はそう多くないはずですが……」

顔見知りでなければ前支配者を余計に混乱させかねない。
併し、此処の最高幹部が出向かねばならないとなると流石に危険が過ぎる。
本人は周囲に隠しているが、この中では最も戦闘能力の高いリヴァンケでさえ、
何をするか予測不能な前支配者との対面は、
入念な準備期間を設けて行わねばならないと考えている程だ。

「ええ、人間はそうですな」

そう言ってヴァンフレムはカードを切った。

「事後報告になって申し訳ないのですが、
 個人的な興味から前支配者アウェルヌスに新型エネミーの製造を依頼しておりました」

「!?」

マチルダが把握していない事件だ。
眼に見えて狼狽えるマチルダ。
エネミーの製造? そんな大それた事をやらかす時間を与えた筈はない……そう言わんばかりに。
だが、其れこそマチルダの認識不足だった。
そもそも世界に於ける異物とでもいうべき力を保有する前支配者なのだ。
彼等を現世でも理解する為の物差しを用意せず、作る時間さえ与えなかったのだから。

「驚いた事に、アウェルヌスは一瞬でエネミーを構築しましてね。いやはや素晴らしい力だ。
 まぁ詰まり『彼奴の作品』がS-TAにいるという訳です。
 こやつらを使者にしましょう。
 我々の内の誰かが行くよりは安全でしょう」
執筆者…is-lies

  S-TA、セントラル州、
  首都エルダーシング・シティー、
  S-TA領内マハコラ・エーテル研究学府最高機関、霊魂部門研究所。

 

ヴァンフレムの先導で一同は霊魂部門の研究所に案内された。
バルハトロス、マチルダ、リヴァンケさえも其処に足を踏み入れたのは今回が初めてだ。
霊魂研究などという馴染みの薄い学問だが、研究所の中はそう奇抜なものではない。
病的なまでに白い部屋、閉め切られた窓には結界用の呪符が貼り付けられた鉄格子、
並べられた椅子にベルトで固定された被検者達は、大戦の捕虜だ。
不測の事態で滅ぼしてしまったイギリスを抜きにすれば、
現在、S-TAが明確に戦争行為を仕掛けたのはギリシャのみ。当然この捕虜もギリシャの民だ。
ギリシャ最強の特殊部隊『聖ント』を束ねていた幹部アテナ……
だが非能力者な上に、当の聖ント達から疎まれていたらしく、
半ば見殺しにされるような形でS-TAの捕囚と化し、霊魂研究の実験体にまで零落れていた。
涎を垂らしつつ胡乱な目で宙を見遣る其の姿、
そして只管に無味乾燥で清潔という印象以外残らないであろう部屋は、
霊魂学発足以前の世界と照らし合わせれば精神病院が一番近似している。
そういった連想から……

「霊魂って、精神とは異なるの?」

……と、マチルダから率直な疑問が向けられた。

「ふむ、昔の或る霊能者がこのような事を言いましてな……
 『精神』が無い訳など無い。なのに科学者は其れを取り出せない。見せる事も出来ない。
 よって実在確実な精神に何のアプローチも出来ない科学者よりも、霊能者の方が優れている。
 ……と」

「詭弁ですね」

リヴァンケが即座に切って捨てたよう詭弁だ。
精神とは物質ではなく機能そのものなのだ。取り出すも見せるも無い。

「脳の機能が心……精神なのであって、精神と言う物体が存在している訳ではない。
 前支配者の精神体とて、精神と言う物質が存在しており其れで形作られたものという訳ではありません。
 精神は飽く迄、機能。其の機能を果たすサーキットを便宜上、精神体と呼んでいるに過ぎません。
 併し『魂』は異なります。
 我々人類に深く刻み付けられた……バックアップ。
 物質に拠らない、もう一人の自分とでも言いましょうか。
 いや……肉体が死しても霊魂は残り、併し霊魂無くして肉体の活動無き以上は……
 ……『霊魂』こそが真の我々と呼べるものなのかも知れませんな」

ヴァンフレムの思想はヒンドゥーのサーンキヤ学派に近い。
精神と物質の二元論、真の本質である精神プルシャ、偽りの主体である物質プラクリティ。
もし、そうならば続いて『絶対神の否定』『主物質界からの解脱』という思想もあるのかも知れない。
だがリヴァンケはヴァンフレムの目の中に灯る意思の影を見落とさなかった。
純然たる真理の探究者というよりは、もっと俗っぽい……
過去にリヴァンケが見慣れていた掃き溜めの悪童に近い濁った光。
世界に何の関心も持っておらず、未来も見据えず刹那的で享楽的……

「……」

やがてヴァンフレムはAR研究室という部屋に一同を招き入れた。
オルトノアとヴァンフレムが率いる霊魂部門研究所内では、
『AR』と呼称される極秘プロジェクトが発足していた。
どうもシステム・セイフォート絡みの機密らしく、
其の正体はヴァンフレムを含むオルトノアの側近達、及びS-TA首相アデルしか知らない。
部屋の内装は先程の精神病院染みたものと大差無いが、
椅子に座らされている『生物』は明らかに違う。
バルハトロスもリヴァンケもマチルダも知らない生物が2体。
バイオ研究所長と主任研究員、神魔研究所長、
彼等が揃いも揃って解らない……彼等の知識の範疇外にある異形の生命達だった。

「ヴァンフレム……其の、こいつらが……アウェルヌスが作ったっていうエネミー?
 ……でも、こいつらは……」

生命工学の権威マチルダは一瞬で理解した。
この異形達は既存の如何なる生物とも、改造人間の成れの果てであるエネミーとも違う。
所詮、改造人間であるエネミーの持つ歪さを感じさせず……
其れでいて異形の其の姿は成程、前支配者アウェルヌスの極めて高い技術の賜物なのだろう。
だが素体が人間ではない。定義から言えばエネミーとは異なる。
『人間によく似た何か』を用いたエネミー……マチルダの目にはそう映った。

「……神魔では、ないようですが?」

神魔研究所長リヴァンケは見抜いていた。
力に於いては下級精霊といったところであろう、この異形達が、
にも拘らず神魔精霊の類が持つ全ての力の根源『マガタマ』を何処にも有していない事を。
神魔精霊ではない。だがそんな生物が果たしてこの世に存在しただろうか。
ミラルカ達、吸血鬼でさえマガタマを保有しているというのに。

「廃品利用でしてね。お見苦しい点は御容赦を」

「……廃品利用? 何の……だ?」

バイオ研究所長バルハトロスは知っている。
ヴァンフレムが日本入りしてから何か重大なサンプルを入手した事を。
これが其の一端なのかと暗に問うが……

「企業秘密という事で一つお願い致します。
 何しろまだ完成さえしておりませんのでね……
 皆さんに同じようなものを使われては、私などどうしようもありません」

くくっと笑ったヴァンフレムに呼応するかのように、
椅子に拘束されていた異形が鳴き声を上げる。

「アキュウゥゥゥゥゥウ」

「前支配者の手を借りても、
 まだこの程度の出来とは、いやはやお恥ずかしい」

 

……

 

この2体の『使者』は、S-TAによって英国へと送り込まれ、
カールントン……ディノラシオールの一派がイプトと名付けた都市で前支配者と接触に成功。
S-TAからの指令を伝えるも、前支配者はこれを一笑して暴れ続けた。
そして其の直後に『使者』達はディノラシオール派の戦闘員達と交戦……死亡した。
併し時同じく前支配者が活動限界時間通りに休眠状態となった為、
一先ずの前支配者暴走の可能性は潰え、S-TAの面々も胸を撫で下ろす事になる。

……マハコラという組織に絡み付いた悪意の存在を、其の嗤笑を他所に。
執筆者…is-lies
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