リレー小説5
<Rel5.SFES 2>

 

 

 ネオス日本共和国、副都心・豊島区
  サンシャインシティビル

 

ニューラーズ率いる新SFESが根城としているサンシャインシティビルの一角、
D-キメラ担当の片割れである女学者ルクレツィアの部屋も、
雑然としており殺風景という研究バカ然りなテンプレートから外れなかった。
最低限の照明に照らされてD-キメラRV-113…
ナナミ・コールの白い裸体が暗い室内に於いて鮮明に浮かび上がるものの、
其の肢体の各部に散見される痣のようなものは、
この少女キメラの均整の取れたシルエットこそ害さないものの、色彩の調和を著しく損なわせていた。

 「だいぶ腐敗が進んだわね。可哀想に…」

 「……お母さん…」

ナナミの身体を多機能眼鏡で検査しながら、
手元の用紙に経過を記録していくのは部屋の主ルクレツィア。
D-キメラ開発計画であるプロジェクトキメラの中枢…
この女学者にとってナナミは、
他のD-キメラ…ルクレツィアが母体となって産み落としたキメラ達とは隔絶された存在だ。
ナナミを手元に置くためだけにJK-112らの逃走事件を引き起こした事からも推し量れるが、
ルクレツィアはナナミ以外のD-キメラにパン屑ほどの愛情さえ持ち合わせてはいない。
ナナミだけが彼女の『本当の子』であり、其れ以外の全ては不細工な紛い物に過ぎないのだ。

 「RV-113…いいえ、ナナミ。
  私の子、私の娘、私の全て。
  もう少しだけ我慢して頂戴。もう少しで解決策を掴めそうなの」

ナナミの身体を蝕み腐らせていっているのは、病魔でも呪いの類でもない。
敢えて言うならば…神の呪縛。
神の記した生命の設計図を弄繰り回した報い。
人の手が加わる事によって生じた齟齬。
異なるものを無理に繋ぎ合わせた拒絶反応。
そういったものだった。
ルクレツィアはナナミを気遣ってか、詳しい説明をしなかったが、
其れが却ってナナミを怯えさせている事に気付き、
然無顔を両手で包み込んで揉み解した後、落ち着いた微笑みを浮かべる。

 「絶対、私が助けてあげるわ。ナナミ」

ルクレツィアがキメラ研究に邁進する動機が其処にある。
ナナミを助ける。
キメラ達との子であるD-キメラなどではなく、
 高津との子であるナナミ。其の身体に生じたエラーを修正する。
 其の強い意志は、正しく我が子を想う親心というものなのだが…

「(…どうして…其の気持ちを他のキメラ達にも注いであげないんですか…お母さん)」

ナナミは苦悩する。
母の愛は痛いほどに解っているが、
同時に、自分以外のキメラに対する冷酷さも良く知っている
彼女は其れを「他人は他人。自分は自分」と容易に割り切れる性格ではなかったし、
何よりもルクレツィアはナナミの兄…JK-112ナナシさえも『その他大勢』としてしか見ていない。
ルクレツィアが高津の支配下にあったナナミを取り戻す為、
ナナシを捨て駒として使った事を、ナナミが知ったのはごく最近…
もう何も知らない頃のように素直な感情を向けられそうになかった。

「(…何も知らない頃、
  いえ、そもそも私の記憶ってそんなに当てになるの?)」

 其処まで考えを進めたナナミだったが、
 今の自分の記憶が、そう盤石としたものではない事を思い出した。

 「さて、ナナミ。
  だいぶ落ち着いてきたけれど、火星での記憶…ああ、あの夢の事ね。
  どう? 新しく何か記憶に戻った事はあるかしら?」

 「…この肉体から私が剥がれそうになるような感覚…そして私じゃない私の視点が見えたんです。
  何と説明すべきか…私ではない存在…にも関わらず私であると断定できる存在の眼で見た映像というか…」

SFESのレギオンによって、ナナシと共に隠れ潜んだマンションから確保された後、
ナナミは『症状』の悪化で暫く昏睡状態が続いていた。
 目を覚ました時にはもう地球にいた訳だが…
其の間、ナナミは不可思議な夢のようなものを見ており、
ルクレツィアの前で何の気なしに話してみたところ、妙に興味を持たれてしまって今に至る。

 「其の『私じゃない私』っていうのは?」

 「解りません…ただ、そう遠くない場所にいたと思います。
  列車か何かの中だったような…」
新SFESは火星を巨大列車で移動していた時期があったが、
当時、昏睡していたナナミが其れを知る事は適わない…筈なのだ。
だがナナミの言葉を単なる寝言とは済まさない程の真摯さがルクレツィアの瞳に宿っている。
そして其れは溺愛故の盲信というものではなく、知性に裏付けられたものである。

「(…ナナミの『本来の肉体』は…あの人(高津)が廃棄したはずよね?
  『臨死状態に於ける魂の転移』? 相性の良い肉体が近くにあった?
  ……解らない。
  霊魂学はまだ齧り始めたばかり…
  ゼペートレイネ女史がいないのがキツいわね)霊魂学其れが学問として見做されたのはごく最近であったが、
予見のみならば太古の昔より行われていた。
要は『魂』の発見だ。
脳内に於ける化学反応が生み出した感情…
其れを誤認したものに過ぎないと、そう長年考えられていたものは、
結晶能力によるエーテル波の観測技術の発達に伴い徐々に存在感を増し、
近年になって遂に実在する機構である事が明らかになったのだ。

始めは『Hope』到来によるエーテル活性化で、亡霊や怨霊といった霊体が公となる。
生前の人間の記憶を持っているかのような言動・振る舞いを行う霊体らに、
人々は魂の存在を強く感じ取って、霊体の調査研究を始める事となった。
斯くして『魂』が発見された。
其れは人間の記憶や感情…脳内の一切を詰め込んだ、
脳のバックアップのような機構であり、肉体の活動停止に伴い遊離する事が確認されている。
大気中で蒸散してしまうが、運良く相性の良い肉体に辿り着けば、
生前の記憶を新しい肉体に押し込む事が出来る……
これまで前世の記憶だの転生だの憑依だのと呼ばれていた現象が其れだった。
当時の学会は湧き立った。
この原理を解明すれば、不老不死も夢ではないと。
猛反対する法王庁ですら止め切れない程の過熱…
だが霊魂学の発展は其処で…霊魂の認知とほぼ同時に途絶えた。
霊魂を発見した最初の霊魂学者の失踪、
そして霊魂学を隠蔽し掌握した闇組織マハコラの登場によって…霊魂学は公開されもせず今に至る。
マハコラの後身の一つであるSFESの中ですら、
ゼペートレイネ・フィヴリーザ博士に見出された極少数の人間にしか、霊魂学の情報は与えられない。
リゼルハンク本社崩壊と共にゼペートレイネは行方不明となり、
新SFESに与する人間の中で、霊魂学についての詳しい情報を持っていそうなのは…
現在、ロシアで任務中の六反田くらいしかいないという有様だった。

「(六反田師団長とは此処で落ち合う予定だけれど、
  彼女は別に学者でも何でもない…能力に利用できるからとゼペートレイネ女史から知識を授かっただけ。
  …でも、今の私には其れくらいしか掴める藁が無いのも事実…)」

ナナミの症状が『霊魂と肉体の不一致』から成る拒絶反応である事を知ったのは、
よりにもよってリゼルハンク本社崩壊直前だった。
こんな事ならゼペートレイネがいる内に、彼女からもっと霊魂学の知識を吸収しておくべきだったと後悔するが、
そもそもルクレツィアは広く知識を得ようというタイプではなく、
興味のある対象にしか関わろうとしないタイプの人間だった。高津然り、ナナミ然り。
後悔先に立たず。覆水盆に返らず。

「(いや、こっちにはまだジェールウォントがいる…
  LWOSもマハコラの流れの一つ…多少は霊魂学の心得があるかも知れないし、探りを入れてみようかしら)」

ナナミを治す為には霊魂学の知識が不可欠だ。
新SFESの人材から得られる知識でも駄目な場合、組織LWOSに取り入る事も考えなければならない。
このビルの片隅で縮こまっているであろう元LWOS副所長ジェールウォントに電話を入れようと、
ルクレツィアが携帯に手をかけた所で、困惑した声でナナミの問い掛けが来た。

「ところで…お母さん、この服は一体…?」

ナナミに与えられた着替えは、脇を露出したデザインの巫女服…
何に使うのかも解らないサッカーボールのような小物もあり、
ルクレツィアからは肌身離さず持ち歩くよう言われていた。
「隔離区で人気のゲームキャラのコスチュームよ。
 私も同じゲームの衣装なの」
紫色の服に、白いナイトキャップを被り、日傘なんか持ったりしているルクレツィアは、
胡散臭げなオーラを放出しつつ微笑む。
(お母さん……年を考えて…)
ナナミの目尻から切なく輝く球粒が零れ落ちた。
執筆者…is-lies

「…ルクレツィアめ。精々粋がっているが良い。
 RV-113はどの道、私の下へと戻る定めなのだ」

卑劣な謀略でモルモットを奪い、
己の研究を妨害するルクレツィアに対し、
彼にしては珍しく憤りの感情を露わにする高津。
JK-112やRV-113脱走事件を裏で操っていたのがルクレツィアである事は解っている。
だが兎にも角にも物証が無い為、
こうして巧くナナミを掠め取られてしまった…
…のだが、高津は冷静だった。
遅かれ早かれナナミは戻って来る。
希望ではなく未来の事実であるかのように揺ぎ無い確信。
其れが無ければD-キメラの護衛を伴いルクレツィアからのナナミ強奪も企てていただろう。

「随分と余裕ですね、父上」

高津作のD-キメラ、MI-111ナナルが恭しく尋ねる。
瞬間湯沸かし器のように沸点が低く、怒れば口調も乱雑な素に戻る彼だが、
平時は至って洗練された態度を心掛けていた。

「奴にとってのアキレス腱は我が手中にある。
 其れを手放さない限りは安泰だ。
 ニューラーズめから此処を追い出される危険を冒してまで荒立てる必要もない。
 …言っている意味が解っているな?」

「はい。猛省しております」

ナナルが銀髪の頭を垂らす。
火星でナナシ相手に激昂して強硬手段に出た暴挙は、
速やかに高津の耳に入って油を搾られる破目となっていた。

「今はニューラーズ…いや、アメリカの指示に従い、
 隔離区及び鉛雨街の調査を進めるのだ」

ナナル、そして其の両隣に控えたタイラント、姫、
高津作D-キメラ3体が頷いて了解の意を示す。

「ところで父上は、
 其の…着替えはなさらないのですか?」

そう「何自分だけ蚊帳の外だと思ってんの?」とでも言いたげな視線を送るナナルは、
緑色のベストとスカートの女装姿に佩刀…白くて大きなオタマジャクシのようなヌイグルミを抱えている。
タイラントはクリスタル状の翼らしきものを背に、
やはり青いワンピースの女装…だがナナルと違って体型的に極めて見苦しい汚装と化していた。
そして姫は…いつものミイラスタイルではなく、
ピンク色の衣服に合わせた同色のナイトキャップを被り、
悪魔のような蝙蝠翼を背中に付けている。
もし普段の姫しか見た事が無い人間が、今の姫を見た所で同一人物であるとは考えないだろう。
全員コスプレ。
だが高津の返答はナナルの予想の斜め上だった。

「もうしている。
 白衣の色が少し違うだろうが。
 ファーストリアル7の北条のコスプレだ」

そんなもんでコスプレを主張して良いのかよと、
引き攣った表情になるナナルだが、
四の五の言わずに仕事をしに行けと秋葉原の街中へと追いやられるのだった。
執筆者…is-lies

気力を持たぬ者に微笑む神などいない。
寝そべっているところに宝籤が降って来たとしても、
其れを換金しに行くだけの気力が無ければ話にもならない。
即ち、この世の雑多な動き…流れを生み出すものは気力。
詰まりは「意思の力」であると極論できるのかも知れない。
無気力は其の対極。
現状より脱する何物をも得られず、現状と共に朽ちるに任せるだけのもの。
留まり、消える。
何も築けず、何も遺さない。
故にナナルが秋葉原隔離区で何一つ有力な手掛かりを得られないのも宜なるかな。
全ては、この妙な格好で気持ち悪い住民達の中に入り地味な調査を続けるという任務が悪い。
併し其のような無気力さにも利点が無い訳ではない。
無気力が変化を拒絶するが故に、極端な変化を留める作用を認めても良いかもしれない。
物事の悪化を防ぎ、解決策を模索するだけの時間を得る事が出来る。
どうしようもない現状を打破する別の流れが到来する事を期待しても良い。
利する時には積極さを、さもなくば消極さを選ぶ。
其れを己の意思の力で決定している事を度外視できるのであれば、
無気力に価値を見出しても良いかも知れない。
タイラントと姫を伴い隔離区をぶらぶら散策していたナナルが、
そういった消極さの恩恵を受けたのは正に其の時だった。
これまた珍妙なコスチュームを身に纏ったナナミの姿を発見したのである。

「……おい、何でお前が此処に…」

「あ…
 お、お母さんから外出の許可を貰いました!」

自分を連れ戻しに来たとでも思っているのか、やや強張った口調で答えるナナミ。

「…ちっ! 逃げたらどうする積りなんだか。甘過ぎるぜ」

だが別段驚くほどでもない。
ニューラーズに率いられているだけあって…という訳ではないが、
ルクレツィアも少々特殊な性癖がある事をナナル達は知っていた。
ナナミへの偏愛と言うには歪みの過ぎた奇行を、高津と共に目の当たりにした事があった。
というのもナナミが寝ている間、ナナミをコスプレさせて勝手に鼻血出してハァハァしてたりするという…
要は変態さんであったのだ。
序に其れを高津にツッコまれても「貴方には関係ないわ」と涼しい顔が出来るのだから手遅れだ。

「逃げたりなんかしません。
 いつか兄さんが来てくれるって信じていますから」

ナナミの言葉には力があった。
ナナシが旧友のスフレを助けに行った事を知っているからなのだが、
其の涙ぐましい気丈さにて示された意志は…
火星での真実を知るナナルにとっては噴飯物でしかなかった。

「ああ、そいつぁ無理だな。
 というか良い機会だ。おい、あれを出せ」

無知なる者を見下す憐憫の嘲笑、
にやけながらナナルが姫の前に、何かを受け取るように手を出すと…其の指が増えた。
否、ナナルの手の上に、切断された「右腕」が現れた。
姫の転移能力で送られたものに違いないが、
問題は…
「JK-112ナナシは死んだ。
 ほれっ」

ナナミの方へと其れを放り投げるものの、受け取れる訳もない。
ナナルの口振りから、其の腕の持ち主を察してしまい、
思考が硬直してしまったナナミの足元に、右腕が転がり落ちる。
本体から切り離されて既に死んでしまった腕は、
凡そ生々しさとは無縁の…干物のような唯の物としての在り方を示している。

「姫の空間転移に巻き込まれた奴だ。
 其の状態で火星の荒野に撃ち落してやった。
 奴のスペックじゃ街に辿り着く前に野垂れ死んでる筈さ」
ナナルとしては生首でも持って来れれば一層良かったのだが、
火星の荒野に何も持たず飛び出すなどというのはD-キメラであっても自殺行為に他ならず、
姫の手柄の付録で我慢するしかなかった。
だが付録は思いの外、効果覿面だったようだ。
「そんな…兄さん…」
凍てついた表情のまま、ナナミの眼球が水気を帯びる。
目の前のナナル諸共に世界が歪んでいく。
そのまま全て…足元にある右腕ごと消えてしまって欲しいと念ずるも、
世界は健在。憎々しいほどにまで堅固。
涙を拭う事も出来なかった。
其れを拭ってしまえば、また世界は元の残酷な形を取り戻すに違いない。
そんな纏まりの無い思考の果ては…逃避だった。
世界が消えぬならば己を消すしかない。
併し己を消す勇気も持てはしないし…
何より、容易にナナルの言葉を鵜呑みにも出来ない。
其れを思考で導き出せた訳ではないが、兎にも角にもナナミは逃避を選んだ。
今はただ耳障りな嘲笑を上げるナナルから遠ざかり、精神を安定させたかったからだ。
一歩後ずされば、後は流れに身を委ねるのみ。
ナナミは黒い髪を翻して元来た道を駆け出し、人混みの中に消えていった。
「はは! 舌の根も乾かねぇ内に逃げやがったぜ!
 あんな失敗作がそんなに大事なのかよ! くく…
 ……くそったれが」
執筆者…is-lies
inserted by FC2 system