リレー小説5
<Rel5.神野1>

 

 

 月明かりさえない深夜の路地裏に、小さな火が灯される。
 男は安物のライターの火を消し、煙草の煙を小さく吹きだした。
 煙草を咥えた男の前を、何人かの若者が談笑しながら通り過ぎる。
 若者たちはちらりと男を見たが、すぐに談笑に戻っていった。
 黒いスーツを着たヒゲ面の男のことを、恐らくはヤクザか何かだと思ったのだろう。
 確かに関わりあいたくないものであることには間違い無いが。
 男は苦笑しつつ、若者たちとは逆の方向に歩き出す。



「邪魔」


 べちゃり、と、肉が落ちた音がした。

 瞬間、男の腹に刃が刺さる。
 否、それは残像だった。男は既に刃の主に向き直っている。

「…………ッ!」

 刃の主は、子供だった。
 いや、別に子供が刃を持っていること自体は珍しいことでもなんでもない。
 生活に困窮して通り魔になる孤児が後を絶たなくなる国はいまだに多い。
 しかし、その子供は違う。何が違うのか、それは、

「おいおい……何処のだ?」

 その子供の腕が、刃そのものだった。

 煙草の火は消えている。完全な暗闇だが、男はこの程度の闇など闇ではない。
 刃の子供の奥、路地の向こうに目を凝らす。
 先ほど談笑していた若者たちが、一刀両断のもと、
 恐らくは痛みすら感じずに殺されたのだろう、笑ったままのデスマスクがアスファルトに転がっていた。

「……うん。あんただよね。そうだ。間違いないな」

 刃の子供が、一人で何か納得する。
 眉をひそめる男を、死んだような目で眺めながら、刃の子供はブツブツと何かを呟いていく。
 そしてそれはどうやら、自分に言い聞かせているらしい。

 

「大丈夫。ただの人間だって。
 勝てるんだから。
 うん。
 絶対。
 大丈夫。
 いける。
 さっきだって。
 一発で。
 いけたんだから。
 セイフォートなんか」
「はいフリーズ。
 動くなよ少年。チェックメイトだから」
 ブツブツと呟いているうちに、刃の子供は一瞬で地面に叩きつけられていた。

「あれ?」
「あれ? じゃねーよ間抜け。
 敵前で考えこむなんておまえアホだろ。『考えるな、感じろ』って格言知らんのか?」

 男はため息を吐きながら、子供の刃の腕を動かせないよう脚を使って固定させる。
 刃の子供は慌てて身体を起き上がらせようとするが、男が脚に体重を乗せていて、起き上がることが出来ない。

「さて、おまえさんは一体何処の奴なのか吐きな。…………」

 実はもうあたりをつけていることは言わない。

「し、知らない」
「ですよねー。まぁ普通はそうなるわな」

 べきりごきりぐにゃっ。

ッッッッッッッッ!!?「腕一本折ったぞ。もう片方……その刃の腕は折られたらマズイだろ?」

 新しい煙草を取り出して口に咥え、安物のライターで火をつける。暗い路地に再び明かりが灯る。

「フゥ〜。……なぁ。聞いてるんだよ。マズイよな?」
「……っがッ!」

 男の体重が、異形の腕に乗せられていく。

「しっかし、おまえ本当に『同類』か? にしちゃ弱っちいな……」

 煙草の煙を吐き出し、どうしたものかと考えながら、男は吸殻を落とした。子供の頭に。

「あっつ!?」
「こんなことやる奴は……うーむ、二人ほどしか思いつかねぇ。マズイな……」

 面倒くさそうにぼやく男を睨みながら、子供は手足をバタつかせるが、どうしても踏みつける脚から逃れられない。

「おい、小僧」
「な、なんだよぅ!?」

 涙目の子供に、男は残業が決定したサラリーマンのような顔で訊ねる。

「その、おまえの腕。それくれたのは、どんな奴だ?」
「し、しら」
「あっそう」

 間髪いれずに、刃の子供の頭を踏み潰した。
 やれやれ、と頭をポリポリとかきながら、男は再び路地の闇へと戻っていく。

 そこに残されたものは、若者の斬殺死体と、頭を潰された子供の遺体、それと吸殻だけである。
執筆者…夜空屋様

 夜闇の路地を歩く男の姿は、ひどく捉えづらい。
 黒いスーツを着ているのもあるが、彼自身が「無意識のうちに気配を消して」いるためである。
 その身に内包する異形の力とはいえ、なんて出鱈目だろうか。
 そう思いながら、街灯の明かりに目を向けた。

「や」

 昨日会った友人のように声をかけるのは、街灯の下に佇む黒衣の少女。
 男は、うげ、と顔を歪ませる。

「やーっぱりおまえか、さっきの」

 男が呆れたように聞くと、少女は笑顔で頷いた。

「ちょっとね、どれくらいのものを練成できるか実験してみたんだ。どうだった?」
「全然ダメ」
「えー」

 男は煙草に火をつける。

「素体がなっちゃいねぇ。
 何人か瞬殺して、すぐに俺に攻撃したとこまではいい。
 だが、敵前で考え込んだ。あれはただのアホウっていうんだ」
「まぁ、適当に選んだからね」
「はッ。そんなんでチェスに勝てるのかい? ま、知ったこっちゃないがね」

 遠くからサイレンの音が聞こえる。きっとあの若者たちと子供の死体が通報でもされたのだろう。

「言ったでしょ、実験って。自分がどれほどのものを練成できるのか、ね」
「ふーん。で、『何』だったんだアレ?」
「んー。……『左手中指の爪の薄皮』?」
「なんだそれ」
「こんなカテゴリーはどうでもいいんだよ。練成できたってことが重要なんだから」

 相変わらずの薄気味悪い微笑みを浮かべる少女だが、男にはそれが誤魔化しているだけのように見えた。

「次のはもうちょっとマシかな。でもあんまりおおっぴらに出来ないからね。それに、まだ時期が悪いもの」
「ふーん。まぁよくわからんが」

 煙草を投げ捨てる。アスファルトに落ちた火を踏み躙り、男は少女の眼を見た。
 暗い。それは星明かりすらもない漆黒。その中に、一つだけ光が見えた。
 この世の絶望が詰まったパンドラの箱には、一つだけ希望が残されていた。
 しかしそれこそが、ヒトに真の絶望を与えるのだという。
 一説によるとそれは未来を見る力で、ヒトには抗えない残酷な運命を知ってしまうことこそが絶望なのだと。

「そろそろ本題に入ろうぜ。なぁ、リライちゃんよ?」
「そうだね、……『骨の男』さん?」

 男は神野緋貝という。少女は『闇』と名乗っている。
 不思議なことに、彼と彼女が出会うのは、これで三度目であった。



「さてまずは弁明タイムだ。……モーロックで俺が捕まったとき、おまえ見てただろ」
「うん。別に殺されるわけじゃなかったでしょう?」
「…………あー、うん、まぁ、そーだな」
「それじゃあこの話はこれでおしまい。
 安心して、キミが殺されそうになったら助けてあげる約束は、まだ生きてるから」
「チッ」

 くすくす、と笑う『闇』に、神野は悪態をつく。
 どうにもこの少女は、信頼はおろか信用すらしたくない。

「本題に入るよ。
 ……今日はスカウトに来ました」
「あ?」

 目を細めて笑う『闇』に、神野は眉を顰める。

「駒が欲しいんだよ、私は。
 キングは神代の怪物。
 クイーンはアレフの魔女の娘にして私の親友。
 ナイトは青薔薇。
 ポーンがたくさん。
 ……足りないんだ。ビショップもルークも失ったからね。それに」

 一拍空けて。

「トリアのは次の段階に進んだ。だからキミの価値も無くなったんだ」
「次の段階? ……ああ、元総裁か。ま、俺ら旧世代のは価値が無くなって当然だな」

 自嘲気味に笑う神野に、『闇』が薄気味悪い微笑みを向ける。

「だけどね。キミは別」
「あ?」
「キミね、トリアに狙われるよ」

 くすくす、と笑う。
 神野はその微笑によって、退路という扉の鍵を閉められた気がした。



「だって、トリアに言っちゃったもの。
 『セイフォートの骨のヒトは私の駒にする』って」

「 ち ょ っ と 待 て 」



 つまり、トリアにとって骨は、「『闇』の駒」扱いなわけである。
 チェスは相手の駒を盤上から落とすゲーム。
 つまり、骨は「『闇』に従って駒として使われる」か、「トリアに見つかって殺されるか」という選択肢を突きつけられたわけだ。

「私の下に来れば、トリアのせいで野垂れ死にすることもないよ?
 私の友達には、トリアは手を出せないから」
「ヤクザかてめぇ!」

 ──実際のところ、『闇』の駒、という理由でトリアがわざわざ骨を排除するために動くことは無いだろう。
 精々、目の前に障害として表れたら排除するだけ。
 だから『闇』は、神野がとるべき最善の手を知っている。
 このまま誰にも見つからない場所で隠遁生活をすればいいだけ。
 しかし、神野自身がそれを許容できるかといえば、まず間違いなく否となる。
 戦闘狂にして弱肉強食の体現者にそんなことできるわけがない。
 そして何より、神野はトリアという存在に対しての情報がほとんど無い。
 トリアがその状況でどんな行動をとるかなんてさっぱりなのである。
 だから、神野にとってトリアという存在は『闇』が語ることが全て。
 つまり、神野の逃げ道は塞がった。

「さぁ、どうするの? 何も出来ずに抹消されるか、それとも私の駒になるか」
「絶対にそれ選択肢ねぇだろ!?」
執筆者…夜空屋様
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