リレー小説5
<Rel5.ハウシンカ1>

 

 

   ロシア連邦、北西連邦管区、サンクトペテルブルク
   マリインスキー宮殿

 

サンクトペテルブルク市庁舎であるマリインスキー宮殿周辺へ押し掛けた群集は、
数千数万という近年に類を見ないまでの大規模なものとなってイサク広場を埋め尽くし、
市長への陳情も不穏当な…暴力的な様相を呈し始めている。

「仕事を寄越せ!パンを寄越せッ!」

「自給率が上がるとか言っていたのは何処の誰だッ!?
 旧世紀よりも酷い状態なんじゃないのかこれは!?」

「八姉妹の所為にして有耶無耶にするんじゃない!」

「ピロシキが1個70ルーブルだ!働いても飯が買えない!
 飯が無けりゃ働く事も…況してや生きる事も出来ない!」

「国民を飢え死にさせる積もりか!
 小麦の搬入に何を梃子摺ってんだ!」

ロシア連邦は第三次世界大戦終結までは巧くやれていた。
だが第三次世界大戦直後の八姉妹が其れを壊してしまったのである。
彼女達は末期的な状態に陥った地球環境を、其の身と引き換えに浄化し、人類の未来を守った…
…というのが一般的な八姉妹の評価だが、ロシアでは全くの正反対。
気象兵器の乱用による温暖化で寧ろ恩恵を受け、
厖大な資源と合わせて農業資源大国化を図っていたというのに、
八姉妹の奇跡によって元の極寒の大地へと逆戻りさせられたのだ。
更にラスプーチン政権が中国やEUとの仲を悪化させてしまった為、
自給も輸入も儘ならない大飢饉に見舞われているというのがロシアの現状だった。

「仕事を寄越せ!パンを寄越せ!
 仕事を寄越せ!パンを寄越せ!」
「市長は速やかに食料を配布しろ!
 有るトコにゃ有んのは解ってんだぞっ!」
「食料を買い占める奴を、相場師を罰しろっ!減給を阻止しろ!
 人民を飢えさせる投機家を断罪するんだ!」

喧騒と窓一枚を隔てたマリインスキー宮殿内の通路にて、
然も下らない者共とでも言いたげに群衆を見下しているのは、
サンクトペテルブルク市長ワスプーチン。
其のヒゲ面はロシア連邦大統領であるラスプーチンと瓜二つ…というか、
ラスプーチンのクローンそのものである。

「連邦の歯車に過ぎない人民が何を増長しているんだか。
 急を要する食料配給は疾うの昔にやったろうに。なぁキュア・スターリン殿」

市長の背後に立つ、白いフリフリミニスカ姿の中年オヤジ…
ロシア国家保安委員会からの回し者であるキュア・スターリンが答える。

「同志市長殿の仰る通り。
 必要と計算された分量の配給は完了してあります。
 其れで満足出来ない人民達の方に問題があるのですよ。
 人民は歯車。巧く動かなくなったのなら取り替えれば良いだけです」

「度し難い。
 去年は同じだけの分量で乗り切ったろうに。
 何で今年は無理だなどとぬかしておるのだか」

「あれを、同志市長殿」

言ってキュア・スターリンが指差したのは窓の向こう側…群集の奥に控えた男。
メガホンを片手に人民達をアジってる辺り、彼が指導者的立場なのであろう。

「現政権与党は人民に平等な…豊かなロシアを約束した!
 だが現状は飢えと失業の蔓延を許し、窮乏が今尚も続いている。
 食糧の流通は滞り、物価は高騰し、
 国債は紙切れとなり、経済秩序は混沌としている!
 平等はどうなった?生きる為の平等はどうなった?
 豊かさはどうなった?生きる為の豊かさはどうなった?
 これらを齎したのは一体誰なのか!?
 周辺国との仲を徒に悪化させて輸入を停滞させたのは?
 身内の汚職政治家ばかり擁護して国家を食い潰しているのは?
 其れは与党Ω(オーム)共産党である!
 奴らの失策と怠慢が全ての元凶である!」

現在の与党を批判するという事は指導者ラスプーチンを批判するに等しい暴挙。
ロシアに於いては決して許される行為ではなく、即処刑されても文句の言えないものである。
だが人民は彼を支持し、其の言葉を肯定して歓声を上げる。
少し前までキュア・スターリンが滞在していた極東管区のハバロフスクとは丸で違う乱れ振りだ。
こんな状態になるまで放置していたワスプーチンの責任も何れ問わねばと思いつつ、
キュア・スターリンは群集の指導者について説明を行う。

「ティーチャー・ヴィジリオン…
 自分をイエスの生まれ変わりと称する、イカれた新興宗教の教祖です。
 水面下で労組を扇動し、今回のストライキ・暴動を引き起こしたと見られますが、
 十中八九、Ω共産党の宗教弾圧を止めさせる事が目的でしょうね。
 労働者達は其の為の小道具に過ぎないかと」

「宗教?あんなものを信じている人間がまだロシアにいたとは…
 此処にそんな輩が現れるなんて始めての事ですよ」

ロシアは宗教を害毒として弾圧している。
というよりもラスプーチン教とでも言うべき宗教が既にあるので、
其れ以外の宗教は邪魔なものでしかないのだ。
小馬鹿にするよう言ってみせるワスプーチンだが…

「何を言っているのですか?
 2年前に貴方が此処で宗教弾圧しているでしょうに」

「はて?そうでしたかな…」

「資料にはそう記されています。
 どんな宗教であったかは記録されていませんが。
 他ならない貴方がやった事でしょうに…何故忘れます?
 …………怠慢は同志にあるまじき叛逆行為ですよ?」

キュア・スターリンの眼が細められる。其の腰に提げられた鎌が不気味に光る。

「し…失礼致しましたっ!同志キュア・スターリン殿!」

「…まぁ、2年前となると第四次世界大戦を挟んでいますからね。
 記憶撹乱ウイルスJHN……か」

第四次世界大戦で小国・大名古屋国が世界を相手に圧倒的な戦果を出せたのは、
能力者の大量確保や、引き抜き、多数のアルファベット兵器の効果であるが、
其のアルファベット兵器の中でも最も世界を混乱させたものが記憶撹乱ウイルスJHN。
とはいえJHNそのものはポインターとしての役割しか持たず、
実際に人々の記憶を混乱させていたのは大名古屋国内部にあった専用の装置であった。
全人類の記憶が一斉に弄られた日…第四次世界大戦…
其の終着時に、或る存在の記憶が人々の頭の中から綺麗に消え去っていた。
闇組織SFES。
世界全国規模に根を張った能力研究団にして傭兵団…マフィアのような組織である。
無論、そんな大規模な集団が其のまま隠れ続けられる事など無く、裏の世界に再び姿を現した。
一説ではJHNを利用して自らの存在をより深みに隠したとも言われているが、
結局、何をしたかったのかまでは特定されていないし、そんな必要もSFES亡き今有り得ない。

「となると…其の宗教はSFES絡みだったという事でしょう。
 深入りは無用ですね。どうせ我々とはもう関係の無い連中です。
 …其れより、この騒動は捨て置けませんね」

「キュア・スターリン殿、ご多忙とは思いますが…」

「ええ、テロリスト一味の序でとして此処の反動分子達も粛清して差し上げましょう」
執筆者…is-lies

   ロシア連邦、北西連邦管区、サンクトペテルブルク
   カザンスカヤ通り

 

「仕事を寄越せ!パンを寄越せ!
 仕事を寄越せ!パンを寄越せ!」
「移民の子は出て行け!中国人を増やすな!
 移民の子は出て行け!中国人を増やすな!」

市庁舎前の群集へと合流すべく、スローガンを叫びながら街路を歩くのは、
ティーチャー・ヴィジリオンに煽動された低所得層無職の若者達だ。
現在のロシアが移民政策を行っている訳ではないが、
ロシアに居着いた移民の子孫である在露外国人…特に中国人との衝突は日常茶飯事。
自分達の国なのに何故、国民たる自分が職にありつけないのか。
自分達の国なのに何故、外国人が職にありついているのか。
そうして彼等は理論武装を行った上で排外主義に走る。
途中で国粋主義に走るか無政府主義に走るかの違いこそあるが、
概ね排外主義、そして現行政府の打倒を基礎とする。
暴走が過ぎて人種主義(レイシズム)に至る者も少なくはない。
ティーチャー・ヴィジリオンは其れらを飲み込み、
大衆が好みそうな煽り文句に、ロシア政府の宗教弾圧批判を混ぜ入れ…
若者達へ、自らの宗教に寛容である事が独裁への抵抗の一つであると刷り込みを行った。
表立って教義云々を説いて強制させなければ寛大な眼で見られ、
そうした土壌を先に築く事が後々の勢力拡大に効果的だという打算からである。

クレムリンのプッチンプリン野郎は自由と平等を認めろ!」
「労働の自由を!勉学の自由を!宗教の自由を!」
「平等な豊かさを!
 平等に貧しくなっても全然嬉しかねぇんだよ!」

行進を続ける若者達の列に、更に1人合流しようとする。
ボロ切れを纏った、薄汚れた姿の少女だった。
痣と汚れだらけの肌、脂でべっとりとした髪、濁った瞳、
ごくありふれたストリートチルドレンの姿である。

「ん…?
 おい、あっち行け!服が汚れる!」

だが少女は若者達に拒否され、行列から蹴り出される。
若者達は飽く迄、低所得層の無職であって…何一つ持たざる物乞いとは違う。
僅かながらでも蓄えを持ち、寝床も持ち、何より希望を持って拳を振り上げられる。
この少女は其れらすらない。
ただ大衆の中に入り込んで、彼等が稀に吐き出すゴミカスを掻き集めて貪るのみ。
ああはなりたくない。
より下なる弱者の姿を見、若者達は一層に声を大きくしてスローガンを叫ぶ。
現在の苦境を打ち破られなければ、この少女が未来の自分達の姿になりかねない。

「仕事を寄越せ!パンを寄越せ!
 仕事を寄越せ!パンを寄越せ!」

其のまま脇目も振らずにイサク広場へと進む若者達の背中を眺め、
物乞いの少女はふらふらと痩せ衰えた体を起こして其の後を追う。
ティーチャー・ヴィジリオンによって集められた群集の放つ熱気は、
彼女のような…縄張り争いにも敗れた最底辺の浮浪児にも、暖を取る事を許してくれる。
執筆者…is-lies

   ロシア連邦、北西連邦管区、サンクトペテルブルク
   イサク大聖堂

 

外の喧騒は膨れ上がる一方。
だが其の主張そのものは大凡、同じ内容しか繰り返していない。
となればどれだけ叫んだところで其れは虚しいのみ。
叫ぶ事で自身の脳を怒りに蕩けさせる。更なる怒りを得んとせんが為に。
怒る為に怒る。
主張の意味は失われ呪文としてしか機能しなくなる。

更に群衆は数を増す。そして同じように呪文を唱え始める。
人数が多くなる。声が大きくなる。
其れだけ。
本当に世界が法で支配されているならば無意味なハッタリでしかない。

「でも…世界は力が支配している」

世界は暴力を認めている。ごく自然な姿として。
そして法も暴力を認めている。民意という数の暴力を。
何より人間が暴力を認めている。
よって無意味なはずのハッタリは法を捻じ曲げるに足る力を得られるのだ。

「…何だか、熱っぽい雰囲気ですわね」
イサク広場を挟んでマリインスキー宮殿と対するイサク大聖堂の一室、
マラカイトやトパーズの装飾やイコンで占められた部屋でリスティーが呟く。
市長ワスプーチンの無能故にサンクトペテルブルクでは反政府組織が随分と成長したが、
そんな組織の一つを纏めていると自称するリスティーであっても、
ティーチャー・ヴィジリオンのような宗教家の隆盛は疎んでいた。
《だろだろ?どいつもこいつも飢えてやがんのさ。腹もそうだし血にも飢えてら!
 其の内、血腥い余興をやってくれるに違いねぇぜ、ゲヒャヒャヒャ!》
チェスターフィールドソファーに座るリスティーの隣に置かれた自動人形が下品な声で笑う。
「かの第三次世界大戦も最初は能力者排斥運動から始まりました。
 …そういえば…其の運動を行っていたのも宗教関係の者…。
 ティーチャー・ヴィジリオン…か。
 彼がロシアのメトディオスにならなければ良いのですが」
リスティーの目の前へ、ソーサーに乗せたティーカップを差し出す執事風の男は、
第三次世界大戦の引き金となったギリシャ暴動の扇動者メトディオス修道院長の名を出し、行く末を憂う。
其の発言に肩を竦めつつ新しくキャンティ(トスカーナの同名州産赤ワイン)のボトルを開けてグラスに注ぐのは、
赤い瞳の剣士アリオスト・シューレン。
この反政府組織に助力する立場にある腕利きの傭兵である。
「おいおい、第五次世界大戦…か?
 第四次世界大戦から1年も経っちゃいないってのに。
 其れは遠慮したいところだぞ。
 ……ふぅ、もうちょっと違う酒が飲みたくなったな」
「…真昼間からどんだけ飲む気だよ、このうわばみ。
 だが今と昔とでは社会情勢も異なっているぜ。
 昔は能力者の誕生だとか火星テラフォーミング計画とか色々あったが、
 今は破滅現象対策で各国が歩調を合わせようとしている。
 ……当分起こりゃしねぇよ、戦争なんざ」

雑誌を読んでいる長髪のジャーナリストグレナレフが言うよう、
嘗ての第三次世界大戦勃発は突然の結晶能力誕生と、能力者・非能力者の軋轢によって生まれた。
政府が火星テラフォーミング計画に有用な能力者を優遇するあまり、
互いの齟齬は大きくなり、各国で能力者排斥の暴動が多発…
耐えかねた能力者が能力者至上主義国家S-TAを建て、世界大戦にまで発展してしまったのだ。
併し現在では能力者と非能力者の敵愾心も収まり…
…というか第三次世界大戦に加え、極短期間であったとはいえ第四次世界大戦まで体験し、
もう啀み合う程の気力も無くなったと言った方が正しいかも知れない。
各国も破滅現象という共通した危機を認識して、
これを乗り越える為のアーティファクト捜索に腐心している
「少なくとも…アーティファクトの八姉妹の結晶が出揃うまでは…な」
第三次世界大戦直後、危機的状況にあった地球の環境を八姉妹は救済した。
其の力を求め、彼女達の遺物であるとされる八姉妹の結晶を集めようと声明を発したのが、
アメリカ合衆国大統領ビンザー・デリングだ。
火星の法王代理サミュエル・スタンダードもこれを支持している。
現在、アメリカと戦争中のアステカ首長国連邦などの例外はあるものの、
各国も概ねデリング大統領の意見に賛成するに至っていた。

 

八姉妹の結晶…

ワイズマン・エメラルド            大名古屋国が所持。大名古屋国崩壊後、所在不明。
カオス・エンテュメーシス          ネオス日本共和国が所持を否定。所在不明。
《LostGoddes》                  所在不明。
セラフィック・ラヴァー              所在不明。
ワン・オブ・ミリオン                火星帝国が所持。但しアメリカ合衆国が返還要求中。
シークレット・ウィズダム            アメリカ合衆国が所持。
ファンタスティック・マイティ・ハート    SFESが所持。SFES崩壊後、所在不明。
イルフィーダ・トリスメギストス          所在不明。
其の大半が所在不明。
現在、国連が発表している分は火星帝国とアメリカの持つ2つしかない。
ネオス日本共和国のカオス・エンテュメーシスは、
所有国であるネオス日本共和国自体が、結晶が偽物であった旨の発表を行い、
国連のIHA(International Hope Agency)査察団も受け入れ、結果…本当に偽物である事が確認された。
ワイズマン・エメラルド、ファンタスティック・マイティ・ハートについては、
所持国、所持組織の崩壊と同時に蒸発しており、懸命な捜索にも関わらず今尚発見されていない。
そしてLostGoddes、セラフィック・ラヴァー、イルフィーダ・トリスメギストスに至っては何もかも不明。
地球全土を其の対象にする災厄…破滅現象は、
現在、沈静化して以前のような国家レベルのパニックを起こすようなものではなくなったが、
未だに予断を許さない不気味な休眠状態にある事を各国の結晶科学者達が指摘している。
一時は地球そのものを崩壊させてしまうかとも全人類を恐れさせた脅威は健在…
再活動までに果たして八姉妹の結晶をどれだけ集められるのか、
集めたとして其の無限に等しい力を巧く制御出来るのか。

 

「ちょっといーかいボスちゃん?」
不意にボスちゃんと呼ばれ、一拍子遅れで自分の事と気付いたリスティーが、
周囲を見渡して声の主ことハウシンカの姿を扉の前で捉えた。
プラチナブロンドの髪と白い肌は取り分け目立つものではないが、
左右で色の違う瞳…何より灰色に淀んだ右目が異彩を放っている。
ロシア、ネオス日本共和国、火星帝国と所在を転々とさせ、
何でも屋と称しては闇社会のドブを浚い続けて来た変わり者である。
「あら?ドルヴァーンさんと一緒に出掛けたのでは?」
「ちょっと気になるモンがあったから、あたしだけ戻って来ちった。
 …下にさ、物乞いのガキがいたんだけど。拾って来て良い?」

犬猫じゃあるまいにと溜息を吐くグレナレフ。
「はい、良いで…」
リスティーが言い終えるのを待たず、
執事風の男R・Bが彼女を手で制してハウシンカへと向き直る。
やはり実質的に組織を纏めているのは、リスティーなどではなく彼のようだ。
「残念ですが、関わり合いになりませんように。
 我々とは住む世界の違う人間です」

「おめーら貧困や腐敗がどーたらこーたら言ってたぢゃん。
 目の前のガキ一人助けられないで国を助けられんの?」

「いいえ、国を助ける為に全力を注ぐので、子供を助ける余裕は無いという事です」

「食いモン少し分けてやるだけでもいーじゃんか。
 金はあるんっしょ?」
ハウシンカが言う様に、この反政府組織は随分と羽振りが良い。
ハバロフスクでもウスペンスキー教会をはじめ幾つかの拠点を持ち、
此処サンクトペテルブルクではイサク大聖堂をも勢力圏内に入れている。
軍用のヴァイドステルス装備もあるし、紅蓮の死神という異名を持つ傭兵アリオストも雇っている。
規模に比べて人員は妙に少数らしいが、其れでも孤児に施しくらいは簡単に出来よう。
「…そういえば、貴女は鉛雨街で食詰め者達を率いていた時期があったそうですね」
R・Bの指摘に「どんだけ調べたんだか」と肩を竦めるハウシンカ。
ネオス日本共和国最大のスラム…ヤマノテ放置区こと鉛雨街は、
異能者のメッカとして世界的に知られており、複数の組織が日々抗争に明け暮れている。
危険回避能力に長けた者のみが生き残れると言われる鉛雨街で、
ハウシンカは獣人などを集めてギャング団を結成していた事があった。
結局、戦乱に巻き込まれて当時の仲間は全滅してしまったが、
其れでも其処で培われた力は今日のハウシンカにとって無くてはならないものとなった。

「力しか信用のならない其の世界を知る貴女の事…外界はさぞ温く感じるのでしょう。
 モノさえあれば即座に擁護出来るアレらを前にし、
 モノのある今、甘くなるのも当然の事と考えます。
 …ですが外界にも外界なりの厳然とした真実が存在します。
 其れは決して、鉛雨街に劣るものではありません。
 たとえ其の子供に施しをしたところで…」

イサク広場前に群がる群衆を指差して続けるR・B。
「あの子供はどうします?向こうの老人は?あちらの娘は?
 1人にでも施しを行えば、彼等は必ず我々に救いを求め群がるでしょう。
 彼等全員を、これからもずっと助けていけるだけの蓄えは我々にはありません。
 下手な同情は寧ろ御互いの得にならないでしょう。
 …所詮、住む世界の違う人間です。
 あれらを生み出さない為にも我々は戦っているのです。
 其れが我々の考えるノーブレス・オブリージュであると御理解下さい」
無表情に其れだけ言ってR・Bは一礼し踵を返す。
法王の権力に翻弄された過去のあるグレナレフ、
迷信深い故郷で忌み子扱いされていたアリオストの心中は複雑なものだった。
R・Bの主人であるリスティーも何か言いたげに表情を曇らせてはいるものの、
巧く言葉に出来ないのか、何かが口をついて出るような事は無かった。
《ヒヒヒ、詰まり結局世界を動かすのは力ある者ってこったな。
 本当の弱者ってのは、自分を取り巻く世界を変える力すら持たない奴等の事よぉ。
 不満たらたらなのに世界を創る側にもなれなきゃ、世界に憤る側にもなれやしねぇ!
 どーせダー(YES)ともニエット(NO)とも言えねぇクラゲ共なんだから、関わるだけ時間の無駄無駄無駄無駄ァー!》
リスティーの持つ自動人形…略称ガッデムちゃんが何かエラソーにホザく。
「…ま、そーだろーけどさー。
 でもアイツらはもう生み出されちまってる。アンタら遅過ぎ。
 切り捨てるしかないんかねぇ、けったくそ悪」
執筆者…is-lies

   ロシア連邦、北西連邦管区、サンクトペテルブルク、ツァールスコエ・セロー
   エカチェリナ宮殿、庭園

 

「だが意外だな。レイジア教を知りたい等と、どうして思ったのだ?」

ハウシンカの養父ドルヴァーンが朽ち果てた庭園を進みながら、
隣の金髪青年ルークフェイド・リディナーツへと問う。
本職は弁護士だというルークフェイドが宗教について知ろうとするとなると、
これはもう仕事絡みだろうと推測した訳だが、どうやらドルヴァーンの予想は当たっていたらしい。
但し、彼の職業に由来するものでなかった。

「イルクーツク収容所から逃げる際に細川の本部へ送ったレポートですが、
 どうも私の雇い主は貴方の言ったレイジア教とやらに興味を示したらしいのです」

「…奇特なものだな。まぁ良い。
 分布は凡そロシア北西部、北欧辺りだったらしいが、
 ラスプーチン政権の迫害を受けて東側へと逃げて来たようだ。
 其処で俺と出会った」

「成程。そして其の彼等も既に姿を消した…
 レイジア教の事を調べられるのは今を於いて他になさそうですね。
 ……まず、レイジアとは何なのか教えて頂けますか?」

ドルヴァーンは圧政の都ハバロフスクで、
少数民族の宗教…というよりは口伝であるレイジア教の人間達に匿われて生活を続けていた。
其の教義については大まかではあるものの理解している数少ない一人である。
第四次世界大戦後、レイジア教の人間達が宗教弾圧に引っ掛かりでもしたのか、
何処かへと姿を消してしまった今、
もしかしたらロシアでレイジア教を知る最後の存在かも知れない。

「ふむ、俺も連中の話を真剣に聞いていた訳ではないが…
 レイジアとはレイジア教の信仰対象である神々の事だ」

「どのような存在なのですか?」

「太古…人類の祖先が『赤き地』に住んでいた頃、
 このレイジア達が互いに争いを始めた。
 長きに渡る闘争の末、レイジア達は其々切り札を繰り出す。
 片や4体の聖神『四聖』。
 片や4体の魔神『四凶』。
 結果は双方の共倒れ…
 で、人類はというと其の闘争の足元でムシケラの様に死んでいた」

「雑魚キャラ扱いじゃん」

横からハウシンカが口を挟む。
彼女からすればスポンサーの意向も宗教も関係の無い事。
スポンサーである細川一族には世話になっているものの、
結局、彼女の目的を果たす為の脇役に過ぎず、
こんな下らない話、さっさと終われば良いのにと軽く見ていた。
「四聖を使った光のレイジア『赤き地』の夜空へ消え去り、
 四凶を使った闇のレイジア『青き地』の深海へ沈み去った。
 そして僅かに残った心正しき人類も新天地である『青き地』へと辿り着き、
 嘗ての恐ろしい神々の争いを代々語り継いでいた…と、そんな感じだな。
 以降、レイジアについての描写は無かったと記憶している」

「成程…良くある聖と魔の争いであったという事ですか。
 …そんなものを何故…隆さんは……」
ハウシンカだけでなくルークフェイドとて細川・隆の意図が解らない。
どの神話にでもあるような在り来たりな話でしかないコレが、細川にとっては何か重要だとでもいうのだろうか。
「レイジア教は人類を虫ケラ同然の弱者と位置付ける一方、
 全ての物に存在する意義があるとも説いている。
 贖罪などではなく飽く迄、人類が人類として人類の為に研鑽を行い高みへと昇る事を求めていた。
 其れが無ければ、ここまで覚えてもいなかっただろうな」
執筆者…is-lies

   ロシア連邦、北西連邦管区、サンクトペテルブルク、ツァールスコエ・セロー
   エカチェリナ宮殿

 

旧世紀の避暑用離宮は人類混乱期での損害こそなかったが、
直後の火星テラフォーミング計画、マロース(大寒波)による食糧不足、
独立運動の激化に影響を受けた政治不信、情勢不安…
これらより成る財政難がロシアに立ち塞がり、宮殿の復元・維持も苦しくなって来たところ…

と或る一族が現れた。

人類混乱期を経て倫理・価値観の刷新されてしまった大半の人類は、
新世界の秩序…パクス・アメリカーナ(アメリカの下の平和)を推進する、
第53代アメリカ合衆国大統領マイケル・ウィルソンに導かれる事となったが、
最初は時代の動きに適応出来ない者が大半であった。
ロシア人民がそんな典型例とされてしまったのも、
飢えを凌ぎたいあまり、新興財閥へ企業株を捨て値同然で売り払っていたからだった。
其れを見越して…或いは自ら煽り立てて株価を爆下げし、新興財閥がロシアの富を牛耳る事に成功した。
…其れこそがモスクワに影響力を持つ其の一族。
彼等は国営TV局、石油大手株を掌握し一大帝国を築き上げ、
旧世紀の歴史的建築物や国宝を次々と集めていった。
何度も再建築されてきたとはいえ歴史を手放すなど言語道断と、ロシア側にも相当の抵抗があったものの、
如何ともし難い財政難を前に四の五の言っている場合ではないと押し切られた。
このエカチェリナ宮殿もそんな一族により購入され、其の優美さを誇示する別荘とされていたのだった。

だがそんな栄華も既に過去のもの。
ラスプーチン政権によって貴族は…というか貴族も其の暴政で苦しめられる事となった。
勿論、貴族側も金の力で抵抗を図ったものの、ラスプーチンは能力者…
洗脳能力によってラスプーチンの忠実な兵隊と化した民衆を前に貴族側は敗退し、
ラスプーチンの下僕となるか、一族郎党粛清されるか、ロシアより逃げ出すかを迫られた。

「エカチェリナ様の一族は、ロシアより逃げ出す事を選びました。
 行き先は当時、地上の楽園と報道されていた日本です」

高純度な金で細工を施された豪華絢爛な通路を歩きながらルークフェイドは語り続ける。
ロシア議会に押収されて競売に掛けられているエカチェリナ宮殿ではあるが、
未だに買い手が付かず半ば放置されている状態にあった。
そんな此処に訪れたのはルークフェイドの懐古の情。
そしてリスティーら反政府組織とは無関係な、エカチェリナやフランス縁の話をする為だった。
故に此処にいるのはハウシンカ、ルークフェイド、ドルヴァーン、グレナレフの4人のみ。

「地上の楽園…ねぇ、あれが?」

「其の時はまだ統一日本でした。
 外国人にも本国人の権利が約束されている夢の国…そういう認識だったのです。
 併し日本へ到着した時は…我が目を疑いました。
 軍服姿の男達がガンブレードを手にして戦争を行っていたのですから」

戦後、日本は東西に分裂した。
六条天皇を頂点として東アジアと戦争を始めた西日本の極右国家…日本皇国の誕生、
其れによって必然的に左傾化し西と対立する事となった極左国家…ネオス日本共和国。
そして騒動を見計らったかのように各地で一斉に独立運動が起こった。
まず西と東に挟まれていた愛知周辺が中立を謳い、
其の実、大企業・本田グループ主導によって独立した大名古屋国が誕生。
左寄りという理由で西から追い出されたマスコミ関係者達が立てたキラ王国。
何を考えたか無防備都市宣言を行った札幌がロシアに飲み込まれて変貌したロシア極東管区ヴァストカヤスク。
ロシアの脅威を前に、温度差のあるネオス日本共和国から決別したアイヌモシリ。
日本皇国と中国に飲み込まれると怯えて独立した元沖縄であるニライカナイ。
熊本山中の山賊が調子こいて独立宣言したまま放置されてたヤマモト帝国。
エカチェリナの一族が西日本に着いたのは、そんな大革命の真っ只中であった。

「外国人排斥運動にも巻き込まれてしまいましたが、
 国家への忠誠を誓う事で何とか滞在を認められました。
 但し…私が戦争に参加するという条件がありました」

ルークフェイドらリディナーツ家は、
昔からエカチェリナの一族に仕えていた従者の家系であり、
護衛としての役割もあった為、一般人と比べてみれば十分な素質を持っていた。

「ああ、あれでしょ?
 えーと…何だっけ……そうそう、コロキント・ピラート!」

手を叩いてハウシンカが言う。
彼女が否応無く所属させられてしまったフランスの能力者部隊と同じだからだ。

「ええ、フランスのコロキント・ピラート同様、
 人口減少で弱体化という経験を踏まえた国民の批判を避ける為の外人部隊。
 詰まり、危険任務行きです。
 ……其処から私が逃げ出したりしなければ…
 サリシェラクリルも…或いはエカチェリナ様とも、離れ離れになるような事は無かったでしょうね」

「…ダッセーなセンセ。
 もしあの時こうしていれば…なーんて全然役に立たねーし。
 絵に描いた餅欲しさにヨダレ垂らしてる暇あったらさ、食える餅を用意して頂戴な☆
 差し当たっては、ロシアから逃げ出す方法かな…?」

エカチェリナと会う事を目的としているハウシンカに対し、
自らの不忠で以って主の所在を見失ってしまったルークフェイドは、
幾分かの負い目があったのだが、ハウシンカは全く気にも掛けなかった。
彼女にとって最重要なのは火星法王庁にいるエカチェリナの救出のみ。
既に法王を脅す材料は手に入れている。グレナレフの写真は法王を屈服させるに足る威力を持つ。
だが其れは法王を脅してエカチェリナを引き渡させる為の交渉道具に過ぎず、
法王が法王庁内に引き篭もって法王代理にしか取次ぎをさせなくなった今、
正面から行っては法王代理サミュエル・スタンダードを通すしか方法が無く…
写真を使った交渉を巧く使えるかどうかが怪しくなってきた。
ハウシンカ達が行いたいのは飽く迄、交渉。法王を攻撃する事ではない。
其処でハウシンカは大胆と言うか無謀と言うか法王庁への侵入を画策したのであるが、
其れもこれも、全ては今居るロシアを無事に脱出出来ればの話。
養父であるドルヴァーンや知人のアーニャを救出した角で、
ハウシンカ達は今現在、ロシア国家保安委員会KGBに狙われる身となっていた。
ロシアの反政府組織に加担する事で一応逃げ続ける事は出来ているが、
其れでもロシア国境の警備は厳重で、ロシアから抜け出せないまま今に至っている。

「…確かに、そいつが一番の問題だな。
 反政府組織の連中には悪いが、俺達がロシアでやる事はもう無いし…
 国境の警戒態勢さえ無けりゃ正直とんずらこきたいところだ。
 …まぁ、隆達の通じていたフランスが救助に来てくれるまでは、
 此処で匿って貰っていた方が安全だろうがな。
 奴等もトードストール王国に逃がしてくれるとは言ったが期待せずにのんびりしていようぜ」

グレナレフが些か楽天的に言うが、
KGBに狙われている現状は決して気の抜けるものではない。
この辺りを特に強い勢力圏とする反政府組織の庇護下でなければ、
宮殿まで無事に来れていたかどうかも怪しいところだ。
逆に言えば反政府組織は其れだけの力を持っているという事ではあるが、
ロシア側とて、ただ手を拱いているばかりではない。
いずれ組織の力も突破されてしまう。
「ねぇ先生、隆のヤツ行方不明なんだって?」

「…はい。マーズ・グラウンドゼロに於いて…。
 かの作戦には隆さんと、隆さんの妹である小桃さんも参加していましたが、
 今のところ消息不明だそうです」
ハウシンカ達を後援していた細川一族の第三子「細川・隆」と第四子「細川・小桃」は、
火星に於ける闇組織SFES総裁ネークェリーハ捕縛作戦に参加し、
其の直後に起こった謎の大破壊…通称マーズ・グラウンドゼロに巻き込まれてしまったという。
この大破壊の実態が何であったのかは今のところ不明ではあるが、
其処に形成されたクレーターの規模のあまりの巨大さは見る者に、絶望以外の何物をも刻まない。
「じゃあさ、其のレポートって無駄じゃん。
 報告すべき隆がいないし」

「いえ、貴女との付き合いと同様、これは仕事として完遂させねばならない事です。
 其れに細川は引き続き我々を後援してくれる事となりました」

「は?……隆が個人的な理由であたし達に協力してただけじゃなかったの?」

「はい。最初はそうでした。
 ですが財団は隆さんの関わっていた我々にも興味を示してくれたようです。
 …まぁ……というのも」

「……フランスだな」

「其の通りです。
 隆さんが影響力を維持していた細川の派閥が、
 フランスとの関係を重視したといったところです」

「あー…そういや細川ってお家騒動中だったにゃー」

細川財団は現在、長老にして最高権力者である細川・春栄から成る祖父派と、
彼を除く比較的、権力を持たない親類達から成る祖母派とに分かれていた。
詰まり、春栄程の力を持たない祖母派が、
フランスという一国家と関係を持っていた隆の仕事を受け継ぎ、
フランスと提携する姿勢を見せたという事だ。
そうする事で春栄に対抗する力を得ようというのだろう。
「祖父派と祖母派…と言ってはいるが、
 実際のところ祖父派の細川・春英が身内にハブられてるだけだ」

「併し、春英は細川財団を掌握する独裁者…
 他の身内には結束したところで彼ほどの力も無く、
 春英に負けない程の力を欲している…とも」

「それでフランス…か。
 ……雲の上の話だねぇ…
 てかさ、何でそんな力が欲しい云々やってる訳よ?」

ハウシンカが不快そうに切り出す。
彼女自身、親からの虐待や精神病院、鉛雨街での生活など一通りの辛酸は舐めて来た上、
先程、物乞いの子供達を見掛けて救済を進言したところR・Bにあしらわれたのだ。
豊かな者達への苛立ちが募ったとしても無理は無い。
「フランスと組みたがってる其の祖母派の連中だって、
 別に衣食住に不満がある訳でもあるまいにさ。何で今に満足出来ないかねぇ?」

一瞬、胸の内に浮かんだ「チェリーの一族も」という言葉を無意識に覆い隠す。
この豪華絢爛な宮殿も、黄金の装飾も、琥珀の間も、数々の美術品も、
エカチェリナの一族を満たす事が出来なかったとでもいうのだろうか。

其の問いに養父ドルヴァーンが無表情なままこう切り返す。
「…細川について詳しく知らない身で口を挟むのも傲慢な事だ。
 が、満たされても何故、人は満足する事が出来ないのかというのならば、こう答えられる。 
 ………そもそも満たされていないからだ」

「満たされてないぃ?」

「金も、女も、地位も、名誉も…
 本当の意味で人を満たす事は出来ない。
 一時的に満たされたと思い込む事は出来ようが、そんなものは只の夢幻。
 其れで全てが満たされたとして生を終えられる人間など想像もつかぬ」

「…そりゃあ…ね。
 こう言いたいの?人間の欲に限りなんて無いって」

「得る事成れども満たされず、果て無き道程を只管歩み続ける。
 やがて重荷に耐えかね大地へ膝を付き、そして漸く思い知るのだ。
 ……身の丈というものをな」
限りある者は決して限り無きものを得る事が出来ない。
其れが人生というものだとするならば、
人生とは己の飽くなき欲望に見切りを付ける為の拷問の道行きだとでも言うのだろうか。
欲を満たせば充足は得られる。併し其れは永遠のもの足りえず、すぐに渇きを覚えて次の欲を満たしに奔る。
全ての充足が永久に続くものでない以上、これは茨の道。
併し、だからといって人生がそんなものであるなどハウシンカには思えない。
彼女とてエカチェリナを救う為、SFESやロシアと対峙して来て苦境に立ってはいるが、
其れも全てはエカチェリナと自らの時間を取り戻す為の安い代償でしかない。
取り戻した後、どうなるかなど考えられないし考える必要も無い。
乾きを恐れて水を飲まない人間はいないし、飢えを恐れて食を拒む人間もいない。
…詰まり組織の内輪揉めも、貴族のコレクションすらも、
方向や規模などは兎も角、其の本質的なところはハウシンカの抱くものと同じなのだろう。
未来という曖昧なものを排し、今を満たす。
だが…其れはエカチェリナ一族や細川一族には当てはまらなかった。
ハウシンカが其れを知る事になるのは少々後の話となる。
執筆者…is-lies
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