リレー小説5
<Rel5.義外の霧1>

 

 

  超韓民国、首都ソウル、
  冠岳区、冠岳路1、
  新生ソウル大学。

 

「ふん……他愛もねぇ」

夜の帳の下、新生ソウル大学警備用のファラン型戦闘機兵を軽々と一蹴し、
本田グループの私設兵団である特殊工作ユニット『義外の霧(ぎがいのきり)副隊長が吐き捨てる。

大商社・本田グループは非能力者派として大戦に参加している。
だが其の組織内部には既に能力者派の重鎮である宗太郎の子飼いが入り込み、
本田グループ総裁の座に宗太郎を座らせるべく工作中だった。
この『義外の霧』も既に宗太郎の私兵と化しており、
彼の密命を受けて此処、新生ソウル大学で作戦行動中だった。

ノーベル賞受賞者を称える予定の台座が立ち並ぶ塀を越え、隊は学内へと侵入……学長室へと突き進む。
この時間帯はターゲットである学長が孤立すると調査済みだ。
扉を蹴破り学長室に雪崩れ込むと、
巨大な絵画でカモフラージュされた隠し階段に、今まさに入ろうとした学長を発見する。
学長の周囲に立つ護衛のファラン型戦闘機兵は4体。
対する『義外の霧』は副隊長含め5人。
数のアドバンテージも得ているし、奇襲を仕掛けた側でもあるのだから、
戦闘などとはとても呼べない、雲耀のやりとりの結果は明らかだった。
何もできずに粉砕されたファラン型戦闘機兵の残骸に尻餅をつきながら、
新生ソウル大学の学長は、まるで侵入者の素性が解っているかのように副隊長へ悪態をついた。

「お、おのれチョッパリめらが……
 自分達が何をやっているのか解っているのかっ!?
 日本の歴史には、古代にまで遡る程、全ての部分に渡って我が民族の歴史が現れる…… 
 其の理由は我が民族が日本を作ったからでもあるが、
 日本の全ての文化が我が方から伝授されたものでもあるからだっ!
 詰まり貴様らは今、師匠に逆らって……がはぁ!?」

全く関係のない事を長々と語り始めた学長の腹に、副隊長の拳が埋まった。

「ふん、なぁにを現実逃避してやがるんだか。
 今の状況を良く見てから物を言え。
 後、俺ぁイエローじゃねぇよ。隊長に言え」

 

超韓民国……以前は大韓民国という名前の国だった。
度重なる失政により疲弊したこの国は、人類混乱期を乗り切る事が出来なかった。
長く続く無政府状態に突入し、各種資料原本が放火で焼失。
2105年にマイケル・ウィルソン米国大統領の尽力によって世界が一つに纏まった時には、
既に国家の体を成さない無法地帯と化していた。
真っ当な人間は外国に逃げ去り、大韓民国は人口減少でもって終焉した……
……かに見えた。

200年後に大韓民国の後継を名乗る国家が興った。
其れは500人以下という文字通り絶滅寸前にまで追い込まれた韓民族から成る集団であり、
「自分達は其の優れた資質による技術革新で人口減少を克服したので、国際社会に復帰する」と宣言した。
肝である技術とやらの実態は『国民のクローン生成』だった。
隣の日本を意識でもしたのか、其の人口は2億を超え、この偉大さを自賛し国名を『超韓民国』とした……が、
あまりにも大量のクローン製造は、復帰宣言と同年内に国家非常事態宣言を起こすに至る。
こんなにも大々的に宣伝していながらも、
無軌道に作りまくったクローンを統制する事が出来ずにいたのだ。
起こるべくしてクローン達による大規模暴動が起こり、超韓どころか周辺国を巻き込んだ大混乱が発生した。
これがクローンマゲドン。
人類史に残った茶番だが、
当時の識者は「彼等が如何にして大量のクローンを安定して製造する技術を得たのか」不思議でならなかった。
其処に組織マハコラの影響があった。

マハコラは『結晶』の到来を予め知っていた。
エンパイリアンの継承した記憶の一部に、最初の結晶『Hope』の到来が予言されていたからだ。
『其の年、天から我等の力が降って来る。
 嘗て世界を支配していた偉大なる力が我が子ら一人一人に宿るだろう』と。
長年を経て劣化した内容だが、其の予言は的中していた。
やがて人類は能力を持つようになる。其の前にマハコラがすべき事は、
世界が平穏を保つために、事前に能力者の対策を行わせる事だった。
だがこれは言うほど簡単な話ではない。
何しろ能力の具体的な情報が、エンパイリアン継承情報でも多岐に亘り、
対策を練るために大量の実験体、大規模な施設が必要になる。
そして実験の内容的に、可能な限り秘密裏に……非エンパイリアン人類に気取られぬよう進める必要があった。
其処でマハコラが目を付けたのが旧大韓民国だ。
マイケル・ウィルソンによる世界統一が成ってから日も浅い当時、
荒廃しきった土地で細々と暮らしていた韓民族に、
「栄光ある韓国を復活させる」などと言って説得、使役し、
旧ソウル大学地下にマハコラの秘密基地を拵えた。
そして国際法で禁止されたクローン研究を続け、大韓民国を復活させたのだ。
……人口規模だけは。

ほぼ人体実験目的で造られたクローン達に真っ当な品質など望めはしない。
研究するだけしたマハコラは、この大量の産業廃棄物達を恩着せがましく韓国政府に押しつけ続けた。
しかも韓国政府はクローン達の品質を碌に確認さえせず、世界に向けて超韓民国の国際復帰を宣言……
結果は御覧の有様だった。

マハコラとしては韓国との付き合いは、このクローンマゲドンまで。
其れ以降、関わる事はないと思っていたし、故に動向も一切感知してなかった。
だから、この事件は起こってしまったのだ。

 

腹を殴られた痛みで蹲る学長の前髪を掴んで、無理矢理視線を自分に向けさせると、
副隊長は片手で超振動ナイフを取り出して凄んで見せる。

「おい、『玲佳』嬢は地下だろう? 案内しろ。
 早く従えば其の分、五体が残るぞ?」

八姉妹・玲佳が韓国で消息を絶った。

彼女は元々、韓国の貧民の出であり、
日本に密航し、本田グループ総裁に養子として迎え入れられた。
其の数年後、慈善活動中にゼノキラと接触、彼女に見出されS-TAとの協力を約束した為、
アデルによる開戦宣言時にはS-TAに不在ではあったが、八姉妹として名を連ねてはいた。

……事件は、S-TAの能力者軍がアジア圏に纏まろうとした時に発生した。
玲佳がS-TAに合流する前、祖国である韓国へ舞い戻ったのである。
アジア圏がまだ戦火に包まれる前に親の顔でも見たかったのか……だが彼女の思う通りに進まなかったのだ。
本田グループは、養子の失踪に動転、
特殊作戦ユニットに総裁の命が下り韓国中を捜索……
ソウル大学で玲佳が監禁されている事実を突き止め、
そして今回の救助作戦という流れである。

本田グループ的には、S-TA能力者軍の兵が韓国近くにまで迫っている為、
やや強引且つ性急にでも玲佳を取り戻したかった。
だが宗太郎の息が掛かっている、この『義外の霧』はというと違う。
何しろ中身は能力者側だし、玲佳をS-TAに送り届けるまでが仕事なのだ。
というより、S-TAの侵攻に合わせて奪還作戦を実行している。
早急に玲佳を救出し、S-TAの本隊へと合流しなければならない。

「わ、解った! 解ったから暴力は止めろっ!」

学長は先までの威勢が嘘であるかのようにあっさりと降参し、
今度は「アイゴー」と目に涙を溜めながら事情の説明を始めた。

「……き、聞いてくれ。
 私は元々、彼女を返す積りだったんだよ!
 其の為に残らされていたんだから当然だ! 疑っているな其の目は!
 誓って本当だ! 私は彼女を君達に引き渡す為、地下に降りようとしてただけなんだ!」

見え透いた嘘を言うなと、脳が沸騰しそうになりながらも、
学長に反抗の意思がないと見て、副隊長は事の真相を明かすべく問い掛けた。

「玲佳嬢を誘拐して何を企んでいた? 何をしたんだ?」

「……うっ、……その……私は違うんです。
 全部、ま……
 ……あ……ああああっばら!!?」

次の瞬間、学長の頭部が爆ぜた。
狙撃? 何処から? 隊員達が近くの物陰に散開して警戒するも何も起こらない。
神経を尖らせて周囲の気配を探るが無駄な事。
やがて物陰から顔を出して学長の死体を見遣ると、
丁度、学長の頭があった部分で脳漿を纏いながら蠢く何かを確認できた。
一瞬だけ我が目を疑った『義外の霧』隊員達だったが、
すぐに頭を切り替え、警戒しつつ死体に近寄る。
其れはタコだかイカだか……軟体類のような小さな生き物だった。
暫くのたくっていたが、やがて化石のようになって生物である事を止めた。

「こいつが学長を殺ったのか?」

「頭蓋の破片は内側から飛び散ってる。
 多分、このタコみたいな奴が予め頭に埋め込まれていたんじゃないか?」

「口封じ用……?
 韓国にこんな技術があるなど聞いた事も無いが」

「いや、韓国にはタコを丸呑みにする食い方があるって聞いたぞ」

「茶化してんじゃねー。
 こりゃあ……多分」

もう手遅れだな。
副隊長が考えた通りだった。
マハコラが撤退時に残していった地下秘密基地は、
つい最近まで使用されていた痕跡こそあったが、今は蛻の殻だった。
マハコラが残した施設を韓国が利用していたのは明らかだが、其の目的が全く見えない。
其の辺りを唯一知っていたであろう学長は死んでしまったのだから、
玲佳が戻るにせよ戻らないにせよ、
誘拐犯側の目的は既に達成されたという事だ。
挙句、逃げられてしまった。
隊長からも本田グループ総裁からも宗太郎からもこの辺りは追及されてしまうだろう。
厄介な事になっちまったと苦虫を噛み潰したような顔をしつつ進む副隊長達は、
やがて『メーニッゲッストローエース再現区画』と表記された一室で八姉妹・玲佳を発見した。

 

緑色の液体に満たされた巨大な水槽が立ち並ぶ其の部屋の床に、
体にフィットする何らかの実験用衣のようなものを着せられたまま眠る玲佳の姿があった。
扉にこそ外から簡単な閂がされていたが、其れ以外に玲佳の行動を遮るようなものはない。

「生体認証一致。玲佳嬢で間違いありません」
「外傷は……無いな」
「薬で眠らされているみたいです」
「……よし、連れ出すぞ」
執筆者…is-lies
ソウル大学の正門部には、
ソウル国立大学を意味するハングル文字の頭文字を元にデザインされたアーチがあり、
此処を潜り抜けた先で隊長と合流し能力者軍の許へと向かう予定になっている。
S-TA軍が迫っているだけあって、
ソウルの街は避難民に溢れており、混沌としていた。
『義外の霧』は其の隙に乗じ、能力者軍と接触する積りだった。
併し予定は未定。
何事も予定通りに進むならば、世は全て事も無し。

「さて、もう良いか」

部隊を先導してアーチ前まで来た副隊長は一旦立ち止まる。
何事かと隊員達が揃って足を止めた其の時、
風切り音と共に、隊員達の頭部に横薙ぎの一閃が到来した。

「……!」

流石にこの程度で易々やられるような隊員はいない。
全員がバックステップで難なく避ける。無傷……だが精神的な動揺は多少なりともあった。
攻撃の仕掛け人である副隊長は敵意も露わに、手にした超振動ナイフを構えている。
そして……
玲佳を抱えた2人の隊員が、
其のまま何事もなかったかのように副隊長の脇をすり抜けて走り去る。
副隊長の攻撃に泡を食った他の隊員達は対応出来ず、
己の迂闊さを呪いながらも副隊長に食って掛かる。

「何の積りだ!?」

対する副隊長はというと飄々としたものだった。

「俺はこれから本田グループに玲佳嬢を引き渡し、フランスに戻る。
 っつー訳で、テメエらとの付き合いは此処までだ」

ヴァルカレスタぁ……!」

眉間を引き締める『義外の霧』隊員達。
目の前に立ち塞がる上官を……
副隊長ヴァルカレスタ・フィンダムを反逆者と見做し、
距離を取って散開し、徐々にヴァルカレスタを包囲するよう動き出す。

「大局を見ろよ、大局をよ。
 能力者側が勝てる訳ねーだろ。非能力者との数の差は歴然だ。
 挙句、結晶能力の解析が進めばジリ貧だ。勝てっこねーだろーが。
 今の内に本田グループに従っとくのが賢明な訳よ」

言いつつヴァルカレスタは包囲を厭い、ゆっくり後退しながら、
先程、先行させた部下の通信を受けて撤退準備の進捗状況を確認する。

《此方、ラシャトゥ。
 キヴルスと共にピナーと合流。
 御姫様の搬入作業に入りますぜ》

「サイェ(よぉし)! 俺もすぐ行く。
 いつでも出れるようにしとけ。エイフは?」

《毎度のお楽しみタイムだ》

「程々にさせとけよ」

通信中ながらも隙を見せずにはいるが、
正直、現状ヴァルカレスタの不利は否めない。
特殊な訓練を受けた百戦錬磨のフランス軍人であるヴァルカレスタでも、
『義外の霧』隊員達と多対一で戦うなどという事態は御免被る。
何しろ、この隊の設立には、伝説的な退魔の一族が絡んでいるのだ。
古来より人外を狩り続けた牙が、近年に暗殺も請け負うようになり、
其れを本田グループが直属として召し抱えた。
これが『義外の霧』の始まりだ。
そう、ヴァルカレスタ一人では『義外の霧』隊員達を凌ぎ切れない。
そして相手の力量を読み違える程、ヴァルカレスタは迂闊ではない。
勝算が無いまま、このような暴挙に出る筈もない。

「まぁ落ち着けって」

ソウル大学正門前が強力なサーチライトで照らされる。
正門周囲に蠢く無数の影は、ヴァルカレスタを擁するフランス特殊部隊だった。
『義外の霧』隊員達の脳天に当てられたレーザーサイトは、
四方八方から結晶銃を構えているフランス兵達からのものだけではなく、
数百メートル離れたスナイパーのものさえある。

機先を制されていた事を察し、『義内の霧』隊員達が両手を上げる。
勝ちの目が無い事……
そして、相手と交渉の余地がある事を知ったからだ。
この武力なら問答無用で皆殺しにする事も出来るのだが、
撃って来ない以上は、何某かの理由があるに違いないという訳だ。

「……フランスの特殊部隊か。
 だが此処は韓国だぞ」

国家主権はどうなっているんだという、自分達を棚に上げた軽いジャブを放つ『義外の霧』隊員。
併しフランス軍の返答は、予想の斜め上だった。

「知らねぇのか?
 S-TAの侵攻に恐れを成した韓国大統領は、軍と一緒に南へ逃げてったぞ。
 縋りつく民衆をS-TAのスパイか何かと疑って蹴散らしながらな。
 詰まり此処は今、無政府状態……俺らが人道的支援、避難誘導を行っている。
 そしてお前等は治安維持の為の駆除対象に過ぎねぇ……そんな所だ」

「薄汚い非能力者め。
 玲佳様を誘拐して何を企む?」

「企むとは心外だぜ。
 玲佳様の身の安全を願うならば、彼女は本田グループに戻すべきだ。
 ……そもそも八姉妹は戦争したくて八姉妹になった訳じゃねぇ。
 困った人達を助けていただけの……戦争なんかと無縁であるべき人達だ」

そのフランス特殊部隊隊長の言葉には、多少なりとも八姉妹への敬意のようなものがあった。
だが内容は聊か間違っている。
確かに玲佳やゼノキラは救命活動中にマハコラから見出されて担がれただけだが、
マチルダやオルトノアは私利私欲で戦争を拡大させている。
八姉妹として一緒くたにされているが、彼女らに共通するものといえば、
性別やエーテル的な資質、能力が受け入れられた世界を望んでいるという位のものだ。

「玲佳様を誘拐した連中の正体は結局お前らにも解らなかったらしいが、
 だからといってS-TAに身柄をみすみす移させる気はねぇよ。
 お前達も玲佳様の為、非能力者側につくんだ。悪いようにはしねぇ」

どうやら『義外の霧』隊員をそっくりそのまま寝返らそうという腹らしい。
『義外の霧』はS-TA幹部・宗太郎の飼い犬だが、其の首輪には本田グループの名が書いてある。
詰まり中身も首輪に合わせてしまい、そうとは知らない元の飼い主を欺こうというのだ。

「そりゃ、非能力者側がS-TAに勝てればの話だな。
 ……生憎とS-TAには貴様等が及びもつかない奥の手がある。
 貴様等こそ大人しく……」

「殺れ」

フランス特殊部隊長の号令は迅速。
降伏の意思がない以上、長々と話に付き合うのはデメリットしかない。
だが、其れでも遅かった。
号令に何の返答も……銃の発砲音も返っては来ない。
無言のレーザーサイトだけが変わらずに『義外の霧』隊員達に当てられたままだ。

「!!」

フランス特殊部隊長、そしてヴァルカレスタ、
歴戦の猛者であるこの二人が戦慄に背筋を凍らせる。
死の影が彼等の背後で刃を振るったのと、
二人が半ば無様に転げるよう、前転しつつ背後に攻撃したのはほぼ同時だ。
上下の逆転した視界の先に揺らめく影は、
ヴァルカレスタ達の投擲したナイフを指の間で鮮やかに……
まるで其処こそが収まるべき鞘であるかのように止めてしまった。

「ちっ、もう来やがったのかよ……
 『桐真』隊長ォ!」

ヴァルカレスタは相好を崩すが、其れは余裕や皮肉などから来るものでは断じてない。
追い詰められた際に出る苦しみ紛れ染みた其れであるというのは、
半ば裏返った声からも容易に見て取れる。
周囲に展開していたフランス特殊部隊は……既に物言わぬ躯と化していた。
連絡一つ寄越す事も、レーザーサイトに僅かなブレを与える事さえ許さず、
瞬く間……そうとしか形容しようもなく、
また殺戮劇というよりは刈払機による草刈りと呼ぶべきであろう作業が終了していたのだ。

ヴァルカレスタとフランス特殊部隊長の前で、
隊『義外の霧』の名よろしく宵闇に茫々と浮かぶ影こそが隊長・桐真。
其の名『桐真』は転じて『斬魔』。
魔を殺す為に己の身に魔なるものの血を入れた狂気の一族……其の当主であった。
死体の囲繞地として示されるキルゾーン、
本来ならば『義外の霧』を仕留める筈だった其処は、
フランス特殊部隊の死地としての有様を見せ付けていた。
ヴァルカレスタと特殊部隊長……フランス軍の生き残りはこの2人だけだ。

「……アンタが! っっ!?」

フランス特殊部隊長の科白を遮ったのは桐真隊長の持つショートソードの切っ先だ。
問答無用の一撃は後少しの所でフランス特殊部隊長の喉元を貫けていたが、
ヴァルカレスタが彼の襟首を掴んで引き寄せた為、首の皮一枚分の負傷を与えるに留まる。
桐真隊長、そして盛り返して押し寄せる『仁内の霧』隊員達の攻撃範囲内から死に物狂いで抜け出しつつ、
手汗の滲んだ手でアサルトライフルの引き金を引くヴァルカレスタ。
弾幕を張って近づけないようにするが悪足掻きに過ぎない事は当の本人が一番よく解っている。

「……ラシャトゥ、進捗状況は?」

《後5分も掛かりゃしませんぜ》

「2分だ。隊長が来やがった。
 交戦しつつ合流するから、
 早くやんねぇとオメェらも死ぬぜ」

桐真隊長相手に余裕など抱ける筈もない。
完全に防御と回避に徹すれば多少の時間稼ぎは行えるが……
『義外の霧』隊員達もいる以上、戦線は後退せざるを得ないし、
其の分の皺寄せは、悪いが部下達に……そう考えた所で、
今度は通信先の部下ラシャトゥに異常が起こった。

《ひっ!?
 お前は……ま、待てえええぇぇっ!》

通信機からラシャトゥの魂消るような悲鳴が迸る。

「おい、どうしたっ!?」

ブツッと通信は途切れ、彼方から轟音が響く。
まるで紙パックを潰した時に生じる間抜けな音を数千倍にしたような、
そんな音に一同が釣られて見遣った先は、
ラシャトゥ達が待っていたであろう場所の丁度上空……
其処に細々とした何かが浮かんでいるのが見えた。
一拍子遅れでヴァルカレスタ達の顔面を突風が叩く。
空に浮かぶ何かの正体を見極めようと見開いた目に、
砂粒が入り込むが瞬きなどしてはいられない。
何しろ、浮かんでいた其れは残心の後に落下する残骸……
ヴァルカレスタ達が脱出用に持ち込んでいた輸送機の成れの果てだったからだ。

脳内に割れ鐘を叩いたような警鐘が鳴り響く。
桐真隊長を含む『義外の霧』達を相手取ったとしても、これ程の危機は感じない。
だが逆に……御蔭というべきか、判断は見誤りようがない。
此処がポイントオブノーリターン(帰還限界点)。今そう決まった。
あまりにも強烈な危機の到来は、小賢しい立ち回りや策などに頭を捻る気にもなれず、
閃き同然に最善最良の即断即決を促してくれた。
即ち、脱兎の如き遁走だ。
恐怖に駆られ、任務も誇りも何もない原始的な生存本能に従って、
ヴァルカレスタとフランス特殊部隊長は其の場から走り出した。
ヘリがあった場所とは逆方向に……これから来る『脅威』から少しでも遠ざかるべく。
隊長と合流して強気になった『義外の霧』隊員達が追跡しようとするが、
桐真隊長は軽く手を掲げて其れを留める。
誘拐犯なら兎も角、ハイエナに一々構ってやるほど暇ではない。
こうしてヴァルカレスタ達は逃げ出し、
そして彼等が恐れた『脅威』が其処に現われる。

「!……驚いたね。
 まさか、アンタ御自ら受け取りに来られていたとは……」

『義外の霧』達の前に堂々と姿を現した男……
ヴァルカレスタ達の輸送ヘリを拳の一撃で空まで飛ばし、
インパクト時に生じた衝撃波でヴァルカレスタ達を戦意喪失させた張本人。
彼は両手で恭しく玲佳を抱え、併し眼光には誘拐犯への怒りの炎を存分に湛えさせ、
漏れ出た怒気が周囲の空気さえも凍てつかせているかのような錯覚を見る者に与える。
覇王アデルと能力者国家元首の地位を争ったS-TA重鎮、
魔王宗太郎だ。

「……玲佳様を監禁した犯人達を探し出し生け捕りにしろ。
 殺さなければ過程に於いて如何なる手段も許可する。
 行けっ!」

無言で一礼し、『義外の霧』達は雲霞のように其の姿を闇に溶け込ませた。
ヴァルカレスタという離反者を出した直後だというのに、其の指令は明確。
隊長である桐真への信頼と、玲佳誘拐犯への憤怒……
これらの前ではヴァルカレスタの裏切りやフランスの介入など些末事も同然だった。
(併し……)
両腕の上で横たわっている玲佳に目を落とす宗太郎。
彼女の体を包むボディースーツが記憶の片隅に引っ掛かっていた。
似たようなものを何処か……身近な所で見た記憶がある。
何か嫌な予感がする。
玲佳の誘拐にしてもタイミングが良過ぎるし、解放のタイミングも妙に良過ぎる。
(……組織マハコラ……もしや……)
暫しの黙考の後、宗太郎は通信結晶を手にした。

「……久し振りだな。
 お前に少し頼みたい事がある。
 ニコライよ」
執筆者…is-lies
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