リレー小説5
<Rel5.エルミタージュ美術館11>

 

 

 

  ロシア連邦、北西連邦管区、サンクトペテルブルク
  エルミタージュ美術館、冬宮3F、エルミタージュ・プラネタリウム
  ニコライ派、ニコライ・テネブラーニン

 

「ニコライ大佐、レミエットは何処にいる?」

「最初の問いが其れか。
 いや、読みが合っていた事を喜ぶべきか、
 まだ其の程度の気持ちでしかない事を怒るべきか」

距離があるとはいえエインヘルヤルとリゲイルの銃口を前にして尚、ニコライ大佐には一切動揺の色が無い。
リゲイルが何か気紛れを起こして発砲したりレーザーを使って即・殺しに来るなどという心配も一切無い。
決して其の様な真似はしないという或る意味、信頼とも取れるリゲイルへの評価を何ら疑ってはいない…
というより「リゲイルを信用している」…ではなく、リゲイルを信用した己の判断を信用している…だろう。

「まぁ良い。安心しろリゲイル。
 丁重に預からせて貰っているとも」

「答えろっ! レミエットに何をさせようとしていやがるッ!!」

其の反応も全く想定通り。だが別のところに少々問題が生じていた。
予定では…増援など来ない筈だったのだが、異形部隊によって計画の変更を余儀無くされ、
こうしてリゲイルと対面する場に、ニコライ派とは無関係の組織が同席してしまっている。

「大佐…宜しいのですか?」

傍で耳打ちするのはレゼフェイだ。
腹心だけあってニコライ大佐の心の内を迅速に察知し、計画と照らし合わせる。
そしてニコライ大佐もレゼフェイの言わんとしている所を既に解っていると返してからリゲイルへと向き直った。
芝居染みた咳払いでリゲイルの注目を一身に浴び、如何にも畏れ多そうな重々しい口調でリゲイルにいらえを返す。

「……大いなる意志なのだ。
 リゲイル、君には及びもつかない程に深遠なる、な」

「ニコライ大佐、アンタ…アキバの厨二アニメでも見てるべきだぜ」

ニコライ大佐がナシャ・パベーダの精鋭達を引き抜いて祖国に反旗を翻してまでやろうとしている事が、
三文劇団の茶番などである訳がないとリゲイルは膠も無く一蹴するも、ニコライ大佐は尚も無視して続ける。

「あの娘には其の意志を受け取る力がある。
 我々の目的に必要不可欠だ。故に同行して貰っている。
 …これで満足か?」

何処まで人を虚仮にすれば気が済むのかと、
キレたリゲイルが後先考えず威嚇してくる事は読めているし、ハウシンカ達にも予想出来た。
エインヘルヤルのレーザーも、リゲイルの銃撃も、タイミングを読まれた以上は脅威と成り得ない訳だが…
此度は最低限の回避行動さえ取る必要もなかった。

 

何かしようとする前に、リゲイルが消えた

 

高速行動かと周囲への警戒を強めるハウシンカ達だったが、其れも違う。
ニコライ派の面々は然も当然のように失笑して緊張を解いていた。一人を除き。

「御苦労、ツァウドル君」

ニコライ大佐は事前にツァウドル准尉に対し、リゲイルへの対応を指示していた。
彼の空間転移能力なら、迫り来るリゲイルを殺さず遠ざける程度は造作も無い。
最初から決められていた通りに事が進んだというだけの話なのだが…

「いえ、違います」

緊張を維持していた一人…当のツァウドル・フェズキヤ本人が否定する。
何事かと問う間も無くツァウドルの背後に眼鏡を掛けた女が現れた。
全員、一瞬身構えてしまったが…其の服装から直ぐにニコライ派の兵である事を理解する。

「ニコライ大佐、厄介な事になりました。
 取り急ぎ報告致します」

「ゲフィリル君か…」

双子のツァウドル同様に便利な瞬間移動能力だが、
事前連絡無しで来られると大変心臓に悪く、
ハウシンカが責める様な視線を向けつつ悪態をつくものの、
ニコライ大佐もゲフィリル准尉も軽やかにスルーして話を進めた。
ゲフィリル・フェズキヤ准尉の報告を要約すれば、
ハインツ及び神野達の監視任務中に『謎の獣人』『謎の異形』を確認し、
身の危険を感じて瞬間移動で戻ってきたのだと言う。
其の際、神野達の仲間と思われる少女を見たらしいが、此方は大した問題ではないだろう。

「君が危うく思うほどか。
 敵か味方かの判断はつかないが…無視するのも危険そうではある。
 ところでリゲイルを「飛ばした」のはゲフィリル君だな? 何処に送った?」

「…お楽しみを邪魔して申し訳ありませんが、
 プラネタリウムの空中に転送して其処から落としました。今は良く寝てま…」

ゲフィリルがそう言って視線を下ろした時に、
ハウシンカはすぐ横のプラネタリウムに違和感を覚えた。
其処にはワイヤーでぶら下がって腕を螺旋階段の方に向けたままのエインヘルヤルが一機。
主を失って静止した其れから僅かな駆動音…
「お…!」
ハウシンカが叫ぶまでもなく、レゼフェイの二丁拳銃が火を噴く。
ワイヤーを撃ち抜かれたエインヘルヤルは見当違いの方向へと弾丸をばら撒きながら、
先程、其処の天窓から入ったユディトらと同じ軌跡をなぞって落ちて行った。

「判断が遅過ぎるよリゲイル…いや、メカの本当の操り手か?
 リゲイルが飛ばされた直後にやるべきだ。そうすれば少しは虚を突けたかも知れない」
エインヘルヤルは六反田が指揮しているらしいという事は先刻承知。
リゲイルが居なくなったからと言って安心するほど抜けてはいない。
「……さて、此処から屋上に穴を作らなければならない訳だが…」
ちらっとリスティーの方へ視線を送るニコライ大佐。
リスティーの操るゴリラ・ベイビィヘッドが瓦礫を排除してくれるのなら問題は解決だと言わんばかりに。
「ごめんあそばせ。この子…手が離せませんわ」
やはり乗って来ない。『白い秤』の価値を知っているとしか思えない。
リスティーが餌に食らい付かないと見るや、フェズキヤ姉弟がニコライ大佐へと進言する。
「…今ならエーテル障害も収まっているので屋上への数人規模での瞬間移動は可能です。
 但し、戦艦がある以上……賭けになるかと」
先のエーテル障害は、ミスリル製エインヘルヤルの登場によるものであり、
戦艦ミルヒシュトラーセがエインヘルヤルを一掃した今なら瞬間移動出来るという訳なのだが…
今度は戦艦が屋上に覆い被さっている地形変化の為、不用意に移動する事が躊躇われる状況となっていた。
つくづくデリケートな能力である。
「ふむ、どちらにせよヒオヤ君とキリフェナ君でなければ時間が掛かりそうだ。
 …非戦闘員は此処で待機。残りは結界内の敵性勢力を排除。
 美術館周囲の敵を排除し次第、ツァウドル君とゲフィリル君は美術館外壁を伝って屋上へ向かい状況を確認。
 転送能力で以って非戦闘員から順に戦艦へ収容してくれ給え」
執筆者…is-lies

  ロシア連邦、北西連邦管区、サンクトペテルブルク
  エルミタージュ美術館、冬宮3F、超古代火星文明収蔵品倉庫
  ドゥネイール、アルベルト・ジーン

 

アルベルト、デルキュリオス、紅葉の3名は、
緊急着陸を試みる戦艦から身を隠す為、足場を破壊して3階の一室へと逃れていた。
すぐ頭上から火山の噴火かとも思える音量で耳障りな擦過音が響き渡り、
特に感覚の鋭敏なD-キメラ…紅葉の脳を揺さ振ってくる。
さしもの超人達にも出来る事などあろうはずもなく、
身を屈め耳を塞ぎ事態が収まるのを待つのみだった。

「もう大丈夫なようだな」

元々、紅葉に『壊され』て視覚及び聴覚を失っているアルベルトにとっては、
其の耐え難い轟音も何ら問題にならなかった様子で、一番に立ち上がった。
感覚を共有する事でアルベルトをサポートしている人工妖精アルテミスも、
そういう用途で造られた存在だけあってピンピンしている。
次にデルキュリオスが気を取り直すも、紅葉は蹲ったまま一向に動こうとしない。
…其れは轟音がどうのというものではなく、戦艦内で紅葉が体験した異常の再発だった。

「大丈夫か?」

アルベルトの問い掛けに返事は無かった…というより、
頭を抱えてしゃがみ込んだ紅葉にそんな余裕など無かった。
鐘楼となったかのように脳内の全てを反響させる頭蓋を、
いっそ割ってやろうかと力を強める紅葉の腕を、デルキュリオスがしっかりと掴んで押し留めている。
サーヴァントたるデルキュリオスでなければ自分の手が壊されていただろうななどと考えつつ、
デルキュリオスは何とか紅葉が落ち着くまで彼女を抑制し切った。
肩で息しながら、もう大丈夫だと口でいいながらも、
突けば倒れてしまいそうなぎこちない動きで起き上がる。

「……先程から様子が変だぞ。
 一体どうしたというんだ?」

「変な声が聞こえてくるの…
 紅葉の居場所に紅葉じゃない何かが入ってくるような…」

「精神干渉か何かか?」

「いや、あの戦艦内は魔力遮断の結界がある筈だ。
 ルーラー用のものがそう易々と突破されるとは思えん」

ルーラー(定める者)とは、ドゥネイールの細川司令が名付けたトル・フュールのコードネームだ。
マーズ・グラウンドゼロ以降、トルの監視を可能な限り欺かねばという事で、
トルの事は可能な限りルーラーと呼ぶように通達されていた。
畢竟、トル対策さえ取られている戦艦内に何者かが魔法なりで干渉してくるとは考え難いという話であり、
今其れを考えたところで答えなど出そうにもないだろうとアルベルトは当面の別問題を取り上げる。

「あの機械共…グラムも通用しないとなると、力押しでは難しそうだ。
 何か策を用意する必要がある」

純粋な力では破壊出来ないとされる最硬のレアメタル・アダマンチウムを使用した機械兵…
今のところ足場をどうにかして時間を稼ぐ程度の事しか出来てはいないが、
アダマンチウムの特性は把握出来ている。
加工技術の存在は其れだけでも打開策がある事を示してはいるものの、
アダマンチウムを融解、溶解させる程の超熱量、
分子結合そのものを破壊する超振動といった、
此処の人員だけで…更に魔法抜きでやるにはあまりにも高いハードルが存在する。
真正面から戦うより、其れを操る本体を叩くべきだとアルベルトが主張するも、
紅葉は全部アルベルトに丸投げした様子で呼吸を整えており、
デルキュリオスはというと、機械兵と其の対処法よりもアルベルトが使った剣に興味を示していた。

「グラムか…そんなものを造れる奴がいたとはな。
 誰の作品か解るか?」

確かにアダマンチウムには通じなかったものの、
並のレアメタルなら、D-キメラの腕力で難無く切断出来る名剣だ。
が、其れさえ通じなかったエインヘルヤルの対策を無視してまで話題に出すようなものかと訝しみながらアルベルトが返答する。

「ドゥネイールの保管していた古代遺産の一つだ。
 詳しい事は知らないが、細川の第二子だかが手に入れた物らしく、
 この世界で知られる如何なる技術とも異なる、未知の業で造られたものだとか能書きを垂れていた。
 まぁ、性能さえ確かならば技術などどうでも良いがな」

「………そうか。
 異界の技術か」

デルキュリオスの呟きは其のまま誰の耳に入る事もなく闇へと消えていった。

 

部屋はかなりの広さがあり、木箱が山を成すよう積み上げられていたり、
展示されているとは言い難いほど乱雑に彫刻が並んでいたりしていて、倉庫か何かに使われているのだと理解出来る。
何しろ屋上から穴を開けて部屋のど真ん中にやって来た為、3人は何処に出口があるのかも解らない。
来た穴は最早戦艦の底を覗かせるだけでとても抜け出せそうに無いし、
結局、部屋の探索をする破目になったのだが…
「…?
 ねぇ…こっちから変な気配がするなの」

「ああ……視覚でも聴覚でもない、全身の細胞が懐かしんでいるような不思議な感覚だ」
紅葉とアルベルトが口を揃えて歩みを進める。
デルキュリオスすら、先の2人程強烈なものではないにせよ感じるものがあり、
ニコライ派の救出という任務を一先ず置いて2人の後を追う。
D-キメラの材料にして中心部である『超獣の核』に「超獣の記憶」が残っており、
其れがD-キメラの深層に根付いているというハーティス・ポルフィレニス博士の説を真とするなら、
この紅葉とアルベルトの反応は…正に其れに触発されたものと解釈出来るのかも知れない。
詰まり、超獣に関わる何かが身近にあるという事だ。

 

「何だ…これは?」

「妙な形の化石だな」

其れは最初、人間の化石に見えた。
体育座りで丸まった姿勢の人間に、溶岩石などが付着したような、赤黒い歪な化石であった。
其のすぐ前にプレートが掲げられており、其の化石についての詳細が載っている。

「分類不能遺産
 ラグナリヴ時代以降のものと思われる物体。
 特定の波長に感応する以外の一切が不明。
 超古代火星文明期に於ける検査機器の一種ではないかという説もある…
 …要は何も解らないという事か」

「生きているみたいなの…」
そう言って紅葉が興味津々に大きなストライドで近寄ると、其の物体に変化が見られた。
最初はD-キメラの目でも僅かに輪郭がブレている程度にしか見えなかったが、
紅葉が近付くにつれて其の振動が大きくなっていく。

「震えているぞ。
 これは…もしかして我々に反応しているのか?」
「プレートに書かれていた、特定の波長というのが俺達という事か?
 やはり遺産のようだが…」
遺産ならばドゥネイールの収集対象でもある。
世界各国が破滅現象を収める為に八姉妹の結晶や古代火星文明遺産の収集を進めている今、
組織が手っ取り早く力を得る為に使えるし、
何よりエンパイリアンや前支配者といった連中と渡り合う為にも必要なものだ。
直接使用するにせよ研究対象とするにせよ…他に先んじて集めなければならない。
「ねぇ、これ持って帰っちゃ駄目なの?」
「……其れは流石に…いや、どうかな。
 城主のリスティーとかいう奴は、後で取り返すから良いみたいな事を言っているようだが、
 此処で放置していくというのも何か締りが悪い。保護の名目で持ち帰り博士に調査して貰うか?」

だが展開は落ち着いて議論をさせる程の時間も与えてはくれなかった。
突如、化石がこれまでにない程の反応を見せる。
爆発するかと思える程に赤く点滅し、震え始めた其れは…まるで危険信号か何かのようだった。
「…何だ?」

良くは解らないが…兎に角、此処にいたら危険だとデルキュリオスが感じ始めた時、
部屋の壁から肉瘤みたいなものが突き出て来た。
瘤の中央に横線が入り上下に分かれ…鋭尖な牙が並ぶ口を成した。
「さっきのことおなじ、おおきなちから…でもしろいほうせきじゃない……
 …べつにいっか、いただきます…」
執筆者…is-lies

  ロシア連邦、北西連邦管区、サンクトペテルブルク
  エルミタージュ美術館、冬宮屋上、北西部
  魔女の茶会、リライ・ヴァル・ガイリス

 

「何の理由で、か」

 ナオキングが聞きたいのは、何故リライがトリア達を滅ぼそうとしているか、
 ……ではないだろう。その顔は、何故ナオキングの心に踏み込むような真似をしたのか、そう問う顔だ。
 リライとしては、エーテル先駆三柱であり、自分のオリジナルにあたるところのオルトノアとも関係があるというタカチマンに関わりたかったというのがもちろんある。
 タカチマンがオルトノアと、具体的にどのような関係を持っているのかはわからなかったが、それはともかく。

「……キミと仲良くしたかった、から、とか」
「誤魔化さないでください」

 まぁ誤魔化してるように聞こえるよね。そうリライは心の中で呟いて、

「理由が欲しい?」

 そう言った途端、ナオキングの感情が爆発しかけて、行き場を失い、逃げ道を探すように口を開いて、

「理由なんて、無いとでも……ッ!」
「……仲良くしたかったのは、本当だよ」

 そう、仲良くしたかったことに間違いは無い。
 問題は、リライにとっての『仲良くなる』ということが、ダンテたち──魔女の茶会のメンバーのように『仲間として』か、リライの手で心を壊された『人形として』か、なのだが。
 ナオキングはリライにとって後者だった。愛おしいほどの臆病な心を、徹底的に弄んで、完膚無きまでに破壊して、哀れなほどにリライに依存させたいと思えるヒト。
 だから接触したのだけれど、言わぬが花だろう。まだ何か言いたげなナオキングに、これ以上かける言葉はリライには無かった。

「おい、仲良くお喋りしてるヒマはねぇぞ!」

 屋根のへり、エインヘルヤルが滑り落ちていった先を覗き込んだビルクレイダが叫んだ方を見て、リライは一瞬、自分が何を見たのかわからなかった。
 銀色に輝く影が、視界の下から上に飛んでいき、それに遅れて二本の線が尾を引いた。
 まるでスワローテイルを引いて飛ぶ蝶のようにも一瞬見えたが、重力を感じるその動きが、そんな印象を吹き飛ばす。
 エインヘルヤル。先ほどナオキングによって滑り落とされた機体だ。
 伸びたワイヤーを一気に巻き上げ、その反動で跳躍。そんな曲芸じみた真似で、容易くリライたちの真上を取ってしまった。

「…………ッ!」

 真っ先にニーズヘッグが反応してエインヘルヤルを再び弾き飛ばせるように構え、
 一瞬だけ遅れてビルクレイダがエインヘルヤルの着地の衝撃から退避するように動き、ナオキングとリライは咄嗟のことに動けず、
 エインヘルヤルが真下にレーザー砲を構えて、

「ッらァ!!」

 真横から飛び込んできた蹴りが、エインヘルヤルの巨体を一気に吹き飛ばし、再び鉄騎兵を屋根の先に落とした。

「……は?」

 ビルクレイダが呆然、といった感を漏らす。ナオキングも、理解が追い付かず目を白黒させている。
 ニーズヘッグも口をぽかんと開けていて、リライだけが何が起きたのか理解した。

「神野さん……!?」
「ようリライ。死にかけてたみてぇだけど、今の、ほっといた方がよかったか?」

 骨の人。神野が、まるでたまたま友人に会ったかのような気軽な声で、リライに軽く手を挙げた。
 その後ろから、ハインツを脇に抱えたシュトルーフェが追い付く。

「主よ、御無事か?」
「あ、うん、私は平気」

 シュトルーフェに答えつつ、リライは神野の方に向き直り、

「なんで……ここにいるの?」
「なんでって、そりゃアレだ。SAver探すのに一度、見晴らしのいい屋上行こうかねってことにしたんだが」
「小生も同様である。安全な区域を探す予定であった」

 シュトルーフェが同意するが、さすがに屋上がこのような──巨大戦艦が中庭を蓋しているような状況なのは予想出来なかったが、と付け加えた。

「……なんだろうね、コレ。みんな考えることは一緒ってコトかな」

 特に打ち合わせは無かったはずだが、偶然って恐ろしい。
 ふと、リライはハインツがやたら静かなことに気付いた。

「…………はっ。いかん、意識無くなってた。ちょっとシュトルーフェ君、きみ、もうちょっと丁寧に運んでくれないかな。
 っていうかあれだ、もう下ろして結構ですよ。僕もう立てるって。いや逃げないからね?
 あれリライ、また会ったね! これって運命? 素晴らしいね! 運命サイコー!
 ん、なんだいその冷たい眼差し。そんな目で見るなよぅー照れるよぅーいやーん。
 ……ごめん冗談だからその眼マジでやめて! 辛いから! 精神にクるから! 悪かった! マジで僕が悪かったから! 反省するから!」

 訂正。リライはハインツがやたら五月蝿いことに気付いた。
 シュトルーフェの腕の中でクネクネと不気味な動きをしながら意味不明な供述を繰り返すハインツに、リライは思わず視線を逸らした。
 視線を逸らした先で、ビルクレイダががっくりと肩を落としていた。

「俺たち……こんなのに今まで苦労させられてたってのかよ……」
「そういう君はビルクレイダ・ヘクトケール君! だよね? 合ってるよね? これで外してたら恥ずかしいってレベルじゃねーぞ!
 やぁはじめまして、僕はザロージェン……ああもう言い辛い! ゲテモノーズの仮リーダーやってたハインツだよ! よーろーしーくーねー」

 うなだれるビルクレイダに、『こんなの』がロックオン。
 一気にまくしたてるハインツに、ビルクレイダはうげぇ、と物凄く嫌そうな顔をする。

「うわ、何その顔。仲良くしようよー?
 僕もうロシア側からは反逆者だし。ゲテモノーズの残りは……っていってもLLと死鬼森だけになっちゃったけど、今メドヴェージェフ追わせてるし」
「は?」

 何を言い出したのか、一瞬聞き逃しそうになったビルクレイダに、ハインツは構わず口を動かす。

「双子ちゃんは今気絶中っぽくて通信切れちゃってるからなぁ。いやもうホント、ここにいるのは非力な一般人ですんで、キルオアダーイ! とかは止めてほしいな!」
「いやいやちょっと待て! 反逆者ってどういうことだよ!?」
「いやそれがさぁ」

 声を荒げて驚愕を隠そうともしないビルクレイダに、ハインツはあっさりと答えた。
 ハインツ個人の目的として、ロシアの暗部を探っていたこと。
 そのことがラスプーチンのペットのメドヴェージェフにバレたこと。
 さらに。

「いやー驚いたよ。メドヴェージェフがなんでか知らないけど単騎で僕のところに来てさ。何事かと思ったら突然全裸になったんだよ。
 しかも全裸になったと思ったら別人に変身しててさ。クマの獣人っぽかったけど知らない?
 その上滅茶苦茶強くてさぁ。能力も相対してある程度わかったけど、多分世界屈指の能力者じゃないかなアレ。
 つーかヤバイって、マジでヤバイ。瞬間移動が霞んで見えるねってレベル!」

 ビルクレイダは、半目かつ呆れ顔でハインツを見ていた。
 口を閉じたら呼吸困難で死ぬのかというくらいに喋る喋る喋る。
 しかもたちの悪いことに、肝心なことは言わず、もしくはぼかして伝えている。
 リライとしては、面倒になることを言いそうになったらさすがに止めるつもりだったが、そんなことは起こらなかった。

「というわけで交渉だテロリスト改めニコライチーム所属のビルクレイダ君!
 既にゲテモノーズは僕含めてロシア側と敵対状態になった。
 本来ゲテモノーズはロシア側のペーシャオ・バガモールが操作担当だったんだけど、なに考えたのか知らないけど操作ほっぽりだして突撃して死んじゃったし。
 ってなわけでゲテモノーズは大体全部僕の管轄下だ。そして僕はもうロシア側に興味は無い。僕の離反もとっくにロシア側に伝わってるだろうしね。
 敵の敵は味方、ってことで、この状況をどうにかするために協力しないか?
 ぶっちゃけ僕、生き残れればそれでいいからね。君たちコニコライチームや、このバカデカい戦艦の持ち主が何を狙ってるかは興味ないからそっちで頑張ってくれ。
 なんかのアーティファクトだっけ? うん、そんなことよりおうどんたべたい。
 ああそうそう、メドヴェージェフの能力推定も今ならオマケで付けちゃうよ?」

 そして勝手に交渉まで始めてしまった。
 唖然とするビルクレイダとリライ、さっきからオロオロしっぱなしのナオキング、首をかしげたままのニーズヘッグ、
 相変わらず無言のシュトルーフェに、神野が全員を見回し、ハインツを指さして、

「……コイツ今のうちに始末しといた方がいいんじゃね?
 生かしとくと面倒だぞ、あらゆる意味で」
「その意見には同意だが、お前ハインツの仲間じゃねぇのか!?
 ……いや、仲間だったらそんなこと言わねぇよな」
「えっと、私、仲間にするつもりなんだけど」
「リライ、考え直せって。いてもウザイだけの上に所属してる組織の秘密漁って暴いて他のところに売りつけるのが趣味の人外嗜好の変態だぜコイツ」
「オイオイなんだよそのイカレた趣味は。そんな奴仲間にすんの、勇気がいるってレベルじゃねぇぞ。
 つーかただの疫病神じゃねぇか」
「何このフルボッコ!? 僕何か悪いことした!?」
「いくらなんでも所属してる組織の秘密を暴いた上に他の組織に売りつけるってのはどうかと思います……」

 ついにナオキングにまで言われるハインツ。
 疫病神ってどころじゃない気がして、魔女の茶会に迎え入れるか躊躇った自分は正しい、リライはそう思った。
「いやさ、別にいーんですけどねー?
 そちらさんが要求呑もうが蹴ろうがさー
 ところでウチのLLが随分と大きく膨張したみたいですなー」

「うわ、今度は脅迫かよ。
 おいリライ、マジこいつは止めとけ」

もう言葉を取り繕う必要性も感じられなくなってきた。
其れほどまでに、このハインツ・カールと言う男の言動は、
本人の意図しない所で、彼を手元に置く事の危険性を主張している。
其れに当のハインツが気付かないというのも、空気を読む力が壊滅的と言うほか無い。

「…そうなると、今回のって……徒労なの?」

思わず五七五で諦観を切なく詠み上げたリライに、
まーそーなるなーっと脱力しきった神野が静かに頷いて見せる。

「おーい、お前ら内輪の話はどーでもいーから置いとくが…
 確かハインツつーたよな? お前が死んだらゲテモノ共のコントロールってどーなるんだオイ?」

ビルクレイダが問う。
っつーかオチが即バレするような其の問い掛けを真顔で出来る辺り、彼もハインツとどっこいかも知れない。
当然、馬鹿正直にいらえなど出来るはずも無し。

「…………其れ、答え一つしか言えませんよね?」

「そーか? じゃあ手っ取り早く…」

手にした無骨な拳銃を掲げて見せるビルクレイダに、
おどけた態度以上の冷徹さを感じ取ったハインツは、
事此処に至って交渉相手を間違えた事に気付く。

「いやいやいや! ちょっと待って下さいお願いします!
 マジ洒落んなんねーってゆーかマジパネェってゆーかマジ止めて!」

片方が死体に変換される程度ならば、
狂人が狂人と化学反応を起こした結果としては慎ましやかなものだなと暢気に考えるリライ。
正直、ハインツ面倒臭そうだし此処で死んでも其れまでの輩だったと前向きに考えようと、
其れは其れで哀愁漂う思考を泳がせる中、ビルクレイダの懐から振動音が響く。

「お……ちょっと待ってろ」

ハインツ処分を一先ず保留して通信結晶を取り出すビルクレイダ。
とはいえハインツがこれを機に逃げる素振りなど見せようものなら即座に処分すると、
其の眼と今尚微動だにせず向けられた銃口がハインツを凍て付かせていた。

「もしもし……はぁ? そんな事するまでもネェよ。俺もう屋上いるし。
 俺を誰だと思ってんだ? 壁なんざ足場よ。狙撃される前に上り切るくらい訳ねーっつーの。
 ………あ、えーっとなぁ、其れはな、結果的に友軍の助けになってるから良いじゃねーか!」

ビルクレイダが屋上でナオキングと共闘していた流れは、彼の好奇心によって起こされたものだった。
解体屋エリスを処分したビルクレイダは事前に決められていた脱出プランに従い、3階へと向かい…
途中の窓から、外の戦闘を垣間見たのだ。
サンクトペテルブルクの空中から降り注ぐ砲撃で破壊されていくロシア機動兵器群…
攻撃の手を休める事無く空を移動しながら敵の攻撃を回避していく戦艦ミルヒシュトラーセ…
興奮して、どうせ屋上から逃げるのだからと窓から出て屋上へと移動し…
戦艦の落下を迎える事となったのだ。
命令無視ではあったが結果的にはナオキングの助けとなり、
屋上確保に貢献した事は間違いない。

仲間に対し弁明を続けるビルクレイダを余所に、
リライは、この不毛極まる状況をどう転がして益と為すか…
いや、まずはどうやって無事に帰還出来るかを考える。

「…この人(ハインツ)を迎え入れるかどうかは保留として、
 今は先ず私達も彼等と共同戦線を張った方が確実だよね」

「はぁ? 共同戦線だぁ?」
バトルジャンキーな神野があからさまな拒絶反応を示してみせるが、
彼の都合なんかリライにとってはどうでも良い。

「さっき会ったよ。SAverと。
 口を向けられただけで生命力とか記憶とかまで吸い取られそうになったの。
 オマケにロシア軍にも厄介なのがいるみたいだし…」

そして、現状はあまり会話の時間も録に与えられないという事を思い出す。
すぐ近くに先程感じた悪寒…SAverの気配を感じ取る。

「近いぞ…あっちの方か?」

「下だな。3階で誰かと交戦中であると推測される」
シュトルーフェの解析は正しい。
3階の一室にて紅葉、アルベルト、デルキュリオスの3名がSAverリディアと戦っている真っ最中だ。
このままSAverを彼等に任せて自分達は別の工作を進めるか、
彼等に助太刀してSAverと戦うか…いずれにせよ決断に時間はあまりかけられないだろう。
執筆者…夜空屋様、is-lies

  ロシア連邦、北西連邦管区、サンクトペテルブルク
  エルミタージュ美術館、冬宮1F、古代西アジア文化芸術の間前
  ニコライ派、アリオスト・シューレン

 

「一体何をどうしろっつーんだぁあ!?」

アリオストが走りながら吼える。精神の均衡を保つ為にも必要な行為だった。
其の両隣にルプルーザとRBが併走し、彼等の背後にエインヘルヤル…非常に解り易い構図だ。
何しろエインヘルヤルには剣も魔法も通用しない。抗うだけ無駄な手合い。
殆ど何も出来ないまま戦略的撤退、転進転進退却に非ず…などと糊塗するのも馬鹿馬鹿しい。
逃走しながら敗走していって絶賛潰走中である。

「落ち着け。手も足も出ないという訳ではなさそうだぞ」

ルプルーザは油断無く敵の行動を観察し、幾つかの欠点を見抜いていた。
重心の偏りによる上半身の不安定さを突き、美術館の床を崩すなりして時間を稼ぐ程度は出来そうだし、
美術品に執着している事から、これらを盾にして牽制する事も可能だろう。
…アリオストは此処にRBがいた事を感謝すべきかも知れない。
もし彼がいなければルプルーザはこれらの案を即座に実行し、
其の皺寄せを全部アリオスト任せにしていただろう。

そんな折、ルプルーザの通信結晶によりニコライ大佐から新たな指令が届けられる。

《ルプルーザ君、まだ1階にいるかね?
 ジェスケン君から連絡があったのだが、
 現在、冬宮の中庭で友軍とロシア軍ディーカヤ・コーシカが交戦中だ。
 オセロットら主力が出向いていて梃子摺っている。助太刀を頼みたい》

「了解、直行します」

ルプルーザ、アリオスト、RBの現在地は冬宮1階東南の古代西アジア文化芸術の間付近だ。
大食堂の北にあるヨルダン階段はLLによって封鎖されているし、
なるべく離れようと、こうして南に逃げて来た訳であった。

「中庭ですか…
 後ろの敵と挟まれてしまいそうですが、館内で戦うよりは被害が少なくなりそうですね」
 其れに、エインヘルヤル達を統率している六反田師団長を始末出来れば或るいは」

RBの述べた手段が対エインヘルヤルとしては一番手っ取り早いものだろう。
無敵に近いエインヘルヤルだが、彼等を創り出して操る主…六反田は違う。
身体的には唯の子供であり、この面子であれば秒殺も容易い。
だがアリオストはそんなRBの案に苦い顔を浮かべて難色を示す。

「ガキとはいえ女なんだろ? 始末ってのは気が進まないな」

「…手心を加える積りか?」

「バケモンは論外として女に向ける剣なんざ持ってないぞ。
 とっ捕まえて、あの鬱陶しいメカ共を黙らせてやるさ」

アリオスト・フェミニストである。

「寧ろ、そのような余裕を持てる程度の相手ならば良いのですが」

曲がりなりにも六反田は元SFES最大戦力レギオンの師団長級…
幾ら身体能力に劣るとはいえ其れを補い生き残る術を見出しているからこそ、
リゼルハンク崩壊後の今日に至るまで存命しているのだからとRBが諫言する。
冬宮中庭を目指し西へ走る3人の前に、
流れ弾か何かで割れた窓と、其処から広がる中庭の光景が見えて来た。
其処に3人揃って飛び込むも…

 

冬宮中庭は想像を超えた激戦区となっていた。

 

友軍筆頭カーデストのアンチマテリアルライフルから放たれた超大型弾が、
エインヘルヤル達をビリヤードのように吹き飛ばして玉突き衝突させ、
其れを盾にして進んできていたディーカヤ・コーシカを何人か押し潰させるも、
数の有利を嵩にしてディーカヤ・コーシカ達は徐々に包囲を進めカーデストとの距離を詰めていく。
カーデストにとってあまり良くない状況だ。
超人的な身体能力を誇る七大罪のカーデストとはいえ、エインヘルヤルを傷付ける事は出来ない。
唯一、カーデストの武器で効果があるのが、このアンチマテリアルライフル『リ・アルクバリスタ』なのだが、
其の圧倒的な威力と引き換えに扱いは大変難しく、装弾数も少ない。
此処まで近付かれてしまえば、もう後は詰め将棋といった有様である。
ミルヒシュトラーセ転送経路の一つは正に陥落寸前、
そんな中、アリオスト、ルプルーザ、RBは敵陣近くに顔を出した訳だが…

「援軍か! 有難い!」

カーデストがルプルーザ達の姿を視界に留め表情を幾分和らげて叫ぶ。
敵の大半がカーデストに集中している今、
其の分、敵陣の守りは薄くなっている。
此処でルプルーザ達が敵大将であるオセロットと六反田を始末すれば大逆転も有り得る。
が、守りが薄くなっているとはいえディーカヤ・コーシカが十人程、
エインヘルヤルも同じ程度は待機しているし、特別機らしいもの2体いる。
3人で突破出来るかどうかというと…相当厳しくルプルーザには思えた。

「……これは、先程よりも状況が悪化しているぞ…」

「じょ…上等だ! 六反田って奴を押さえりゃ良いだけだろ。
 こんな連中相手に混乱するんじゃない!
 行くぞ! ふんどし!!」

シリアス顔で凛々しく雄々しく猛々しく勇ましく生大根を堂々と掲げるアリオスト。

「アリオスト様が一番混乱しているかと」

冷静に突っ込みを入れるRBだったが、
単純にアリオストがパニクってる以上の問題が浮上して来た。
ポーズを其のままに固まったアリオストが脂汗をダラダラ流しながら呟く。

「………俺、武器無くね?」

そう。アリオストの愛剣は大食堂で気絶中の双花ウタゲが持ったままであり、
今のアリオストの武器は、
頭痛や眩暈で朦朧としたまま食堂で手に取った、この客前調理用の生大根一本だけ…
いや、ついでにゴボウも2本あった。やったねアリオスト!

「………『バケモンは論外として女に向ける剣なんざ持ってないぞ(キリッ』」

確かに剣なんざ持ってなかったなとルプルーザが悪態をつき、
足手纏いにだけはなるなと、アリオストを戦力から除外して突破口を探ろうとする。
「!」
…其処にアリオストが聞き慣れた声がした。
其れはアリオストの黒歴史……

「…っほぅ、誰かと思えば紅蓮の死神(笑)ではないか。
 今日は服なんか着てどうした? やはり全裸では寒かったのか?」

ディーカヤ・コーシカ隊長、オセロットであった。
嘗てハバロフスク市でディーカヤ・コーシカの雑魚相手に俺TUEEEEしてたアリオストを打ちのめし、
全裸の上、上下逆さまの磔刑に処し通電という屈辱的な拷問を行った怨敵…
しかも其の御蔭でイルクーツク収容所の中を全裸で徘徊する破目にもなってしまった。
其の隣にはエインヘルヤル軍団の主たる幼女、六反田がエインヘルヤルの頭頂部に正座しており、
アリオストの方など見向きもせずにカーデスト攻略に集中している様子だ。
オセロットはカーデスト攻略を六反田に一任し、自らは彼女の護衛に専念…
嘲りも露わな態度とは異なり一切の油断も隙も見せずにアリオスト達を警戒している。
アリオストと知り合いらしいし、此処はアリオストを囮にして気を逸らさせ…
そんな感じでルプルーザが人道何それ?な作戦を構築しようとするも、
今回は其れよりも先にアリオストの方から行動を開始した。
大根片手に何やら笑みを浮かべつつオセロット…の前に立ち塞がったディーカヤ・コーシカ達と対峙する。
アサルトライフル持ちが2人。機関拳銃持ちが2人。
其れなりに力を入れている今回の作戦では武器もかなり贅沢な物を使っており、いずれも結晶封入の稀覯品だ。
併しアリオストに臆する様子は一切ない。

「ちょいと腰が引けてたが…良い感じに火ィ付けてくれてアリガトよ。
 こりゃ、あの屈辱を晴らす絶好の機会って事だなぁあっ!!」
アリオストの体から迸る闘気が手にした大根に纏い付き炎と化す。
これぞアリオストの緋蓮爆炎撃。炎と化した闘気を武器に付与し敵を焼き葬る技である。
…得物が大根だが細かい事はどうでも良いだろう。
燃える大根を機関拳銃持ちに投げ付けると同時にアリオストは敵陣の右方へ回り込むように走り出した。
炎に視線を奪われたディーカヤ・コーシカ達の反応が一瞬だけ遅れ、
更に続いて投擲された灼熱のゴボウ2本に、もう片方の機関拳銃持ちとアサルトライフル持ちが手首を焼かれ武器を落とす。
最初に投げられた紅蓮の大根を撃ち砕いて直撃を免れた機関拳銃持ちだが、
其の時には既にアリオストの接近を許してしまい、鳩尾を強かに蹴り付けられ力無く蹲る。
武器を拾って戦線復帰したばかりの敵兵2人を肘鉄で沈黙させ、
彼らが地面に横たわる事も許さず、其の体を残ったアサルトライフル持ちに向かって投げ飛ばし、
瞬く間に4人のディーカヤ・コーシカを制圧したアリオストは、手近な敵兵の懐をまさぐり武器を調達した。

「ちっ、ナイフか…リーチが不安だが無いよりゃマシか」

其処にエインヘルヤルが迫る。
頭の上で片膝立となったオセロットがアリオストの脳天に銃口を向けんとするも、
直後、アリオストの姿がオセロットの視界より消失…
紅蓮の残光がアーチを描き、彼の頭上を越えて行く。

「ほぅ、流石にこの前のようにはいかないか」
オセロットが認識を改め、手にした拳銃を肩越しに背後へと向ける。
炎を纏う流星と化したナイフが其の閃きを銃口にて受け止められるや否や、
オセロットとアリオストが足場としているエインヘルヤルが大きく首を振り被る。
其れはオセロットの指示によるものであり、姿勢の安定していなかったアリオストが投げ出されるも、
アリオストは壁に吸い付くように着地し、其処を踏み台として跳躍…
エインヘルヤルを飛び越え、六反田の許へと走る。
先にオセロットの背後を取った時にも、行こうと思えば行けたのだが、
十中八九オセロットから銃弾を貰う破目になると判断し、
アリオストを振り落すべくエインヘルヤルを操作し、彼も幾分姿勢を崩した今を好機と見たのである。
「黒歴史清算んんっ!
 汚名返上! 名誉挽回! 面目一新! これが俺の本気だぁあ!
 今の俺なら何でも出来る! もう何も怖くないぞぉ!!」
六反田へ迫るアリオストの前にエインヘルヤルが一体立ちはだかった。
護衛用のエインヘルヤル・ツヴァイは両腕のヒートブレードを起動させ大上段に振り被る。
「邪魔だああぁああ!!」

アリオストは其の大きく開いた両腕の間に滑り込んでブレードをやり過ごすと、
エインヘルヤル・ツヴァイのモノアイ目掛けてナイフの突きを見舞わんとした。
が、克己心や気合いでパワーが覚醒してイケメン無双開始などという、
唾棄すべき妄想プロット、問屋が卸さねぇよとばかりに
エインヘルヤル・ツヴァイがアリオストに顔面パンチをキメる。
…エインヘルヤルは巨大な両腕の他、頭の下部に補助腕が収納されているデザインであり、
アリオストは主腕こそクリアーしたが、補助腕に捉えられたという訳だ。
メコッと嫌な音を立ててアリオストのハンサム顔が凹んだ。俗に言うジャイアンパンチである。

「…未知の敵戦力を考慮せず突っ込んでくるのは熱血でもなんでもない。
 ただの馬鹿と言うのだ、戯け者」
六反田が呟き終えるよりも先にアリオストが衝撃でブッ飛び、中庭に植えられている菩提樹に叩き付けられた。
「…ちっ、厄介そうなのが奥にいるな」
アリオストが敵の注意を引き付けている間に、ちゃっかりディーカヤ・コーシカ達を片付けたルプルーザだが、
六反田を守護するエインヘルヤル・ツヴァイらとオセロットを出し抜くのは困難と、慎重に様子を窺っていた。
下手に攻めればアリオストの二の舞になるのは確実であり、RBは半ば牽制目当ての狙撃を行う。
RBの腕から突出した小型レールガンより放たれた弾丸が六反田に着弾する事は…当然無い。
彼女の姿を隠すよう掲げられたエインヘルヤルの腕に僅かな窪みも作れずに空しく散った。
「戦闘を避けて或る程度近付く事も出来るが、護衛との交戦は避けられない…か」
ルプルーザには己への視覚的認識を阻害する能力『血霧』があるものの、
エインヘルヤルの様なマシンにまで通用するとは思えない。ほぼ間違いなく補足される。
『血霧』での暗殺は断念せざるを得ない。
「まずは歯が立つオセロット隊長を仕留めるべきかと。
 後に護衛のエインヘルヤルを引き剥がす方が最も確実で安全と思われます」
「っつぅ、そうだな…俺とした事が急ぎ過ぎたぜ」
RBに返事をしたのはルプルーザではなくアリオストだった。
フラフラと起き上ってズボンについた土を払い落とすと、
次に陥没した鼻を摘まんで引っ張り出す。
盛大に鼻血が噴き出るも慌てず騒がずハンカチを突っ込んで栓をし戦列へと戻る。
「…頑丈な奴だな。
 てっきり死んだと思ったんだが」
「うるせーぞ、ちょいと油断しただけだ。今から本気出す!」
執筆者…is-lies

  ロシア連邦、北西連邦管区、サンクトペテルブルク
  エルミタージュ美術館、冬宮屋上、北西部
  魔女の茶会、リライ・ヴァル・ガイリス

 

「SAver、ね。この結界を張ったのはソイツか?」

 ビルクレイダの問いに頷く。
 SAverという存在はともかく、名称程度ならば問題ないだろう。
 必要以上に情報を渡さないように吟味し、言葉にしていく。
 それにSAverの情報を流すということは、少なからずトリアへの嫌がらせにもなる。本当に嫌がらせ程度だが。

「私はSAverを生み出す存在と敵対してるの。……ティミッドさんは、見てるよね?」
「……あれ、SAverっていうんですか」

 リライの言葉は正確には少し違うのだが、ここでわざわざ訂正することも無い。
 それに、リライも似たようなものを作り出せるのは──余計に言わない方がいいだろう。

 おそらくはネークェリーハを思い出したのだろう、苦い顔をしたナオキングを見て、リライは続ける。

「そう、セイフォートの発展型。ただしセイフォートシリーズとは思想からして根本的に違うけどね」
「あ? そうなのか?」

 疑問の声を投げかけたのは神野だ。
 セイフォートの骨を持つ神野は、SAverネークェリーハを見た時、「セイフォートの一歩先」だと言った。
 それが根本的に違うということ。そもそものスタートラインが違えば、その一歩も大きく違うことになる。

「詳しい説明は省くし、私も全てを把握しているわけじゃないから推測が入るけど……。
 セイフォートシリーズが目指したのは『魔法のランプ』なの。それも回数無制限の」
「……は?」

 リライの言葉に、その場のほぼ全員──相変わらずのシュトルーフェと、もはや話についていくことも諦めたニーズヘッグ以外──が、思わずそんな声を出した。
 リライは構わず続けて、

「対してSAverは、一言で言うなら、『ただの兵器』。持ち主がトリガーを引けば、その通りに動くだけのロボット。
 ……魔法のランプで出来たはずの何もかもを、全て『戦うこと』にした、バカみたいな産物。
 救済者なんてアイツは言ってるけどね……ただの人形でしかないんだよ」

 侮蔑と憎悪が混じった声で、淡々と吐き出すように呟く。

「……なんかスゲェ話になってきたが。魔法のランプ? 三つだけ、なんでも願いを叶えるってアレか?
 セイフォートって……SFESの生体兵器って聞いたことはあるが、そんなトンでもないモノなのかよ?」
「つーか俺がその生体兵器なんだけどな」
「え」

 ビルクレイダの疑問に神野が手を挙げて答えた。
 そこにハインツが補足を入れる。

「正確には神野はS-Bone、セイフォートの骨だよ。
 セイフォートシリーズは生物のパーツをモチーフにしてて、その部位に対応した能力が使えるのさ。
 たとえばS-Lung──セイフォートの肺ってやつだけど、
 コイツは『息を吸うように周囲の力を吸い取り』『息を吐くように解き放つ』能力、
 『周囲の生物の呼吸を制限する』能力を持ってた。
 何よりとんでもないのは、時間をかければ能力がもっと増えてた可能性もあるんだよね。
 たとえば『吐いた息が毒になる』とか」
「マジかよ」
「僕は偽情報は流さないよ?」
「……微妙に信用できるのがタチわりぃな」

 舌打ちするビルクレイダにハインツがドヤ顔を向け、逆に銃口を向けられて土下座するまで約二秒半。

「とにかく時間はあまり無いよ。SAverの狙いはこの美術館に眠るアーティファクトに間違いないから」
「……そうだな」

 ビルクレイダは一瞬考える素振りを見せ、

「いいだろう」
 了承した。

 ハインツの「この状況をどうにかするために協力する」という脅迫染みた提案にも乗る形になるのは癪だが、
 この大結界を張ったSAverとやらの狙いが『白い秤』だというのは聞き逃せない情報だ。
 ……何故、この美術館にアーティファクトが眠っているのを知っているのか、その他にもリライと呼ばれた少女への疑問は尽きないが、今は置いておく。
 正直、SAverの尋常じゃない気配はビルクレイダも少なからず感じ取っていたし、この状況下で戦力が増えるのはありがたい。
 信用は出来ないが。

 一応今までの会話はニコライ大佐たちにも伝わっている。
 恐らくニコライ大佐も同様の判断を下すだろう。
 正体不明のグループとはいえ、相手の目的がSAverでそちらに集中してくれるなら、こちらも『白い秤』の確保に専念できる。
 ただでさえこの密閉された空間に極悪な耐久力を持つ敵が大量にいるのだ。

 と、ここでその極悪な耐久力を持つ敵の一つ、
 LLの制御をしている、現時点で抹殺最優先対象のハインツが不審な動きを始めた。

「うんうん仲良きことは美しきかな。……さすがにジョークだけどさ。
 さて、僕もちょっと手助けしようか。僕にも生かしておく価値があることは見せておきたいからね。
 よーし、プログラム書き換えスタァートッ! ふふはは、電波良好だぜ」

 こめかみに指を当て、奇声を発しながら薄笑いを浮かべるハインツに、ビルクレイダは容赦なく拳銃を向ける。
 が、ハインツはそれに動じず、

「よし、プログラミング完了。これでLLと死鬼森の攻撃対象はロシア側に書き換わった。
 双子ちゃん書き換えられなかったのは厳しいけど……、
 ん、なに、その拳銃。やめてくれよー今僕君のところに味方しただろー?」

「今お前を逃して、またあのバケモノがこっちに襲い掛からねぇとも限らない。だろ?」

「まぁそうなんだけどさ。でもすぐに効果のほどは実感できるんじゃないかな?
 なんならそれまでビルクレイダ君、僕を見張っててもいいんだぜ?」

 これまで以上にハインツに殺意が湧いた。
 おそらくハインツの言葉は本当だろう。もしLLがニコライ側を襲ったならば、すぐにでもその脳天を撃ちぬけばいい話だ。
 だがLLがロシア側を襲ったのならば、それは凄まじい戦力になる。
 無限増殖し、いくらでも形を変える肉のスライムは、はっきり言って反則にもほどがある。
 ハインツが己の命を最優先にするならば、自殺するような真似はしたくないはずだから、
 ビルクレイダが見張っている限りはハインツはLLをニコライ側に襲わせない。
 しかし先ほどビルクレイダが指摘したように、LLがロシア側を襲い始めたとして、
 ビルクレイダが安心してハインツを視界から離して、また再びニコライ側を襲い始めないとも限らない。

 ……ならば、ここでハインツを始末するべきだろうか、とも考えたが、リライと名乗った少女の率いるチームが厄介すぎる。
 戦力未知数の手合いが、ハインツを仲間に加えたいという。もしここでハインツの始末に動こうとすれば、邪魔される可能性は高いだろう。
 ビルクレイダ一人でこの人数は厳しすぎる。ナオキングがリライと何らかの関わりがあるならば、戦力には数えられない。

 結論。ビルクレイダはこのままハインツの監視をしなければならない。

「……貧乏クジ引いたか」

執筆者…夜空屋様

  ロシア連邦、北西連邦管区、サンクトペテルブルク
  エルミタージュ美術館、冬宮3F、超古代火星文明収蔵品倉庫
  ドゥネイール、アルベルト・ジーン

 

「! …ッ……こいつっ!」

壁を透過して乱入して来た異形・リディアの奇襲が綺麗に決まってしまう。
開口と同時に発生した引力は、アルベルト達の意識、記憶、生命力さえも少なからず吸い取り、
反応の遅れたアルベルトがリディアの攻撃範囲より身を隠さんと木箱の陰に逃げ込んだのは、
増大する引力に左脚の肉を捲り上げられた後の事だった。

「何をやっているんだ!」

リディアの吸引により暴風が吹き荒れているような状態と化した室内でデルキュリオスが叫ぶ。
アルベルトだけ回避に遅れた理由…
例の『卵の化石』を抱えて来た故の負傷を治さんと、掌に癒しの力を込めてアルベルトの脚に翳すも、
アルベルトは必要ないとばかりに其の脚で立ってみせる。裂傷どころか其の痕も見当たらない。

「D-キメラの回復力を見縊るな。
 其れより、この化石は明らかにアーティファクトの一つだ。
 まずは化石を上に送り届け…」

…やはりD-キメラのアルベルトと紅葉は、この化石を特別視しているのだろう。
己の起源に纏わるものかも知れないという予想がそうさせるのか、冷静さを欠いている。

「いい加減にしろ!
 このバケモノを始末する方が先だ!」

デルキュリオスは、まだ吸引を続けて室内を荒らしているリディアを見遣る。
最初、デルキュリオスはリディアを、ロシア軍の生体兵器かとも思ったが、
施設や美術品は徹底して傷付けないようにしているロシア軍と異なり、
口腔の直線上にある全ての木箱を荒々しく吸い込み、
其の過程で美術品がバラバラに砕けて行く事など気にも留めていないリディアの異質さに気付く。

「おなかへったの
 のどがかわくの
 たりないのぜんぜんたりないの
 みたして
 ちで
 にくで
 ちでにくでちでにくでちでにくでちでにくで
 みたして」

略奪者を語る際には或る種の定型が存在する事を認めても良いかもしれない。
強欲、貪欲、傲慢(自分勝手)、無知。

人間は群れの強みを最大限に生かして地上の覇者となった。
其処に必要とされたのが、群れの結束の強化…社会性、法(ルール)の徹底だ。
群れのシステムを効率的に機能させる為のルール。
汝殺す勿れ。奪う勿れ。犯す勿れ。
群れのルールを侵害する者は群れのルールに守られない。
群れより排斥され唯の無力な餌と成る。

「調子に乗るなぁああなの!」

紅葉が咆哮と共に力を解放し世界を凍結させる。
口を開いたまま歩いてアルベルト達を探し回っていたリディアが、紅葉の能力に捕らえられ一切の動きを止めた。
時間停止と同義の其の力がリディアにも通用すると知り、すぐに片付けようと武器を構えるが…
凍結中の…動く者は紅葉だけの世界で、あり得ない光景が広がっている。
リディアそのものはピクリとも動かず完全に彫像と化しているというのに、
大きく開かれた口腔へと空間が撓むように流れ込み、吸引力は何ら失われてはいなかった。
エインヘルヤルとの戦いで空間凍結が絶対ではない事を思い知らされた紅葉は、
空間凍結にさえ縛られない暴力を思い知る事となる。いや、其の暴力を思い出す。

「セイフォート…?
 ! まさか!」

スダルサナを投擲しようとするも、自分自身も吸引の対象となっている事に気付き、
食われてなるものかと攻撃を中止、両手を接地させ爪を立てて抗うが、恐らく床の方が先に根を上げてしまう。
止む無く空間凍結を解除し、アルベルト達の助けを請うのだった。
彼女の能力は頭抜けたものではあるが、群れの助力を得られなくなるという欠点もある。
一人で勝てない相手にはどうしようもない。

「どうも…先のマシンといいコイツといい、
 此処の敵は今まで通りとはいかないみたいだな」

リディアの左側面下部にデルキュリオスの魔剣アポクリファが突き刺さる。

「だがマシン共よりは始末し易そうだ」

次いで右側面上部にアルベルトの魔剣グラムが刺し込まれた。
意にも介さず吸引を続けるリディアの体に、2本の魔剣が交差した直線を描いて四つに断ち切る。
リディアの体内にあった吸引力が霧散し、
吸い上げられていた木箱や木片、美術品が其のまま空中に静止…
やっと自らが再び重力の支配下へ戻った事に気付いたように床上へとグチャグチャに落下していった。

「思ったよりも弱かっ…」

「まだなの!
 こいつはネークェリーハと同じ『発展型』なの!」

剣を収めようとするデルキュリオスを紅葉が制する。
4分割されたリディアなどもう何処にもいない。
切断面から粘つく糸のようなものを無数に出して体を結合し、
僅かに残った傷痕すらも溶け合うようにして無くなってしまった。

「たりない
 おなかがふくれない
 まだたりない
 たべたりない
 もっともっともっともっと」

ドルヴァーン・ドラグスクがツァールスコエ・セローのエカチェリナ宮殿で暗に述べた様、
人間の欲望に限りなど無い。
生きている以上、誰もが何某かの渇望を常に抱き飢えている。
満ちているか否かを問う事に大した意味は無く、
其の根本は…
飢えを満たす為、どれだけ他者を食い物に出来るかどうかと言う事である。

凡そ一般的な家庭で育てば誰しも親に負んぶに抱っこな…他者に犠牲を強いる時期があるが、
其れに憤り育児を投げ出すような者は親として失格の部類に入る。
一般家庭での話とすれば、育てられないのならば産むに到るような真似をしなければ良かった。
だが其の蚕食があまりにも行き過ぎれば穀潰しの汚名は避けられない。
犠牲の上に成り立つ胡座を何処まで続けるのか、何処から犠牲に対し義憤を燃やすのか。
何処までなら他人に施しをすべきなのか。何処までなら自分の権利を主張して良いのか。
これらの絶妙な匙加減で人類は社会を、ルールを、倫理を成り立たせている。
いや、成り立たせているように見せている。

「!?」

リディアの口唇の一つが窄められたかと思えば、いきなり紅葉の目の前に肉の壁が現れた。
果たして紅葉は其れがリディアの口より伸びた疣だらけの舌である事を理解出来たのか、
恐らく出来なかっただろうが兎に角、危機を察知して空間を凍結、飛び退くだけの時間を確保する。
今回の判断は正しく、リディアの舌にある疣が破裂して、反り曲がった刀を幾つも生やす。
空間を凍結させて避けていなければ、あれで全身を貫かれて口内へと運ばれていたのだろう。

「ネークェリーハの同類?
 こいつが?」

確かに異形と化したネークェリーハに似た無尽蔵な生命力をアルベルトは感じ取る。
だが、もし本当にそうだとするなら…
其れ以上を考えるより先に、アルベルトがリディア周辺の空間を掌握する。
空間使いであるアルベルトの必殺の業、詰まり空間ごと相手を潰す。
ネークェリーハ相手にはサイズ差もあって効果的に使えなかったが、このリディア程度ならば全身余す事無く潰せる。

「もし本当にそうだとするなら、
 俺達には奴を葬る術が無いという事にならないか?」

ネークェリーハを封じた封印師が、今此処にはいない。
現時点に於いてドゥネイールが確認している封印師はレシル・ローゼンバーグただ一人。
となればエインヘルヤル同様、交戦が無意味な手合いかも知れ無いのだが、
だからといって早々に諦め逃げに徹するのはアルベルトのプライドが許さなかった。
何もせずに他人任せなどとんでもない。
打てそうな手は全て打って…其れでも駄目な時にこそ手を借りる。其れがアルベルトの考えである。
足止め程度にしかならないかも知れないと思いながらもアルベルトはリディアを空間ごと潰す…
…はずだったが、一手遅かった。
開かれたリディアの口周辺の空間が撓むさまを見て、
アルベルトは紅葉の能力がリディアに通用しなかった理由を悟る。
「たべなきゃしぬもの
 だれもたべさせてくれないならてあたりしだいたべるしかないじゃない」
(…私の支配空間そのものを吸い込んでいる……ならば!)」

リディアに容易く歪められている空間とは異なるアルベルトの不撓不屈の精神は、
更なる攻撃…即ち口以外の箇所に対する空間圧縮を間髪入れず実行に移させる。

社会を、ルールを、倫理を成り立たせているように見せている…
詰まり其れは成り立っているとは言い難いという事だ。
ニコライ大佐が言及した様、不完全な世界であるが故、世界は完全なる正しさを拒む。
不完全な世界の不完全な人間の生み出した不完全な社会は、完全なる正しさを拒む。
人が移ろうモノ故に。社会が移ろうモノ故に。世界が移ろうモノ故に。
歪みは淀んだ流れを生み出し濁った汚水を流布し、
人々が語る真っ白な理想の世界を、ドス黒い闇色に塗り潰して現実との齟齬を明白にしていく。
群れの巨大化・複雑化・不安定化に伴い、
群れの中に居ながらにして群れより溢れた者…
ルールの支配下であるにも関わらずルールに庇護されない者が生まれる。
ルールが唯の足枷にしかならない者達が生まれる。
たとえば、このリディアのような。
アルベルトの読みは正しく、リディアは口内と其の直線上には滅法強いものの其れ以外の箇所に対しては脆弱だった。
リディアはあっさりと口以外を空間ごと潰される。
だがそもそも、このリディアという異形は口に手足がくっ付いたというべき体型であり、肉体の大半は無傷のままだ。
脚を失って倒れこみはするが致命傷には程遠いし、そもそも攻撃の手を止められた訳でもない。
「!?」
背後から斬り掛かったデルキュリオスの剣は、リディアに突き刺さり床へと切っ先を付けるも、
先の攻撃の際に感じられた手応えが、今回は全く感じられない。風を切ったかのような感触…
リディアがこの部屋に来た時と同様、剣を透過しているのだと気付いた時には、
異形の舌先がデルキュリオスの肩近くで爆ぜて無数の曲刀を突き出す。
ッぐ!!
右胸を貫かれる。
何とか脱出せんと刃を引き抜こうとするが…反しとなった刃はしっかりとデルキュリオスを捕らえて離さない。
紅葉とアルベルトが共に空間を制御して活路を見出そうとするが、させじとリディアの残り3つの口から放たれる舌が2人の意識を掻き乱す。
其のままデルキュリオスが引き摺られて食われるかと思われた其の時、
天井が砕けた。
「ひゃあああらあああああああああっ!!!」
屋上の神野だった。
今度は自分が不意打ちを食らう形となったリディアは、
瓦礫と共に降下して来た神野の蹴りを眼球に食らい、粘着質な汁を撒き散らしながら倒れる。
また其の衝撃で自分の舌を自分で噛み切り、デルキュリオスを解放してしまう。
「お前…神野……だったな、どうして此処に」
「何だ、まぁたお前らか。
 ネークェリーハの時といい、お互い変なのに縁があるみたいだな?
 …話は後だ。まずはこのゲテモンを頂かせて貰うぜ」
デルキュリオスが回復魔法で己を治癒するも、
胴体が分断されるかどうかという程の負傷はそう簡単に塞がらない。
比べてリディアの方は既に眼球も舌も修復を終えて、神野の方へと向き直る。
「ちからあるひとはたべものひとりじめしてばかり
 ちからないわたしたちはいきていくだけでいっぱいいっぱいなのに」
「どの口がホザいてんだ、このバカ?
 …あ、マジでどの口だ? 4つもあるじゃねぇか。
 口減らせよ。1つにしてから物言えや」
ルールの内側で生きる事に限界を迎えた其れらは、ルールの外側で生きる道を歩む。
其れを咎める事を、どうして『溢れざる、ルールに庇護される者』が行えようか。
故に彼等は先の、強欲、貪欲、傲慢、無知とセットで同情票の如きキーワードを用いる。
『貧困』貧困こそが元凶であり、貧困故に諸々の悪徳が顕われたという考え方である。
人貧しくては智短く、馬痩せては毛長しという訳だ。
其処に行き着くと彼等に対して語るものは最早無くなる。
何故なら…人々は犠牲の計量を良く心得ているからだ。
美辞麗句が胃袋を宥めた例など古今東西何処にもありはしない。
非常に貧しい『住む世界の異なる』者達は人々の思考から外れ、統計学者或いは作家が扱うモノとなり果てるのみ。
概ね人々は此処で貧者への思索を打ち切り、残りは政治への追求に移るだろう。
だが哀しい哉。
改善と完全はたったの一字違いではあるが、
不完全な人間の参画する不完全な政治が築く不完全な社会は、其の一字を決して変えられない。
そして求める人々の欲望は底無しであり決して満ちる事は無い。
諦観と慣れによって耐え馴染むのみ。
「せっきょうするならたべものちょうだい」
体を保つ為に食べる。
活力を得る為に食べる。
備える為に食べる。
これらと隔絶される娯楽としての食…楽しむ為に食べる。
これに到れぬものは文明と呼ぶに値しない。
即ち、リディアにとって…リディアの目線に於いて、この世に文明など存在していないも同義。
然らば…暴飲暴食何ら罪に非ず。
罪を規定せし文明社会の不在故に。

 

一切合切御咎め無し。

 

 

『流れ』の随(まにま)に。
執筆者…is-lies

 

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