リレー小説4
<Rel4.ミナ2>

 

  日本、大名古屋国、暫定アメリカ大使館

 

 血まみれになった父の姿を見た気がして、ミナはベッドから飛び起きた。目の前には暗闇しかない。
 寝巻きが汗を吸い取って、どことなく身体が重い。心臓がどくどくと鳴っている。息が荒い。
「……ふぅ」
 深呼吸をする。息を吸って吐く、それだけの動作がとても重く感じるのは、さっき見ていた夢のせいだろうか。
 華麗な装飾で彩られた部屋は、今はその色を失っている。
 時計を見ると、午前五時。あと一時間もすれば夜明けだろう。もう、眠れそうに無い。

 ベッドから降り、寝巻きを脱いで丁寧に畳んで脱衣カゴに入れる。ベッドの横に置かれている着替えを手に取り、それを着る。
 今日は臙脂色のワンピースドレスだ。
 服はハールが選んでくれるので、ミナは結構助かっていた(デリング大統領に服を選ばせると、ほぼ確実になにやらゴテゴテとしたドレスや奇妙な改造制服──もちろん魔女っ娘コスプレである──になってしまうからだ)。

 部屋の明かりを点けると、色あせていた華やかさが元の色を取り戻す。最初は嫌だったこの部屋も、もう慣れてしまっていた。
 ミナが寝泊りしているこのアメリカ大使館は、大名古屋国に真っ先に建造されたもので、デリング大統領も日本に来た際はここに泊まることになっている。
 机に向かい、昨日書庫から借りてきた本を開く。
 政治についての教科書で、わからない漢字や専門用語を調べながら、ミナは少しずつ読み解いていた。しおりを挟んでいたページを開き、そこから読み始める。
 連合議会議員となったミナは、あの火星パーティーで連合議会議員に指名されてから、政治に関する本を読み進めていた。
 議員が政治のなんたるかも知らないのでは話にならないということもあるが、何より、今は知識を得たかったし、チャンスを待っていた。
 今の自分がデリングの道具と化していることはわかっている。あの男の人形となったままでは、ミナの理想──本田宗太郎の願いは、叶わない。
 ハールの言葉を思い出す。

『…自分の理想をしっかり見据え、己の脚で価値のある第一歩を踏み出すんだよ。
 常に最善を尽くす…後悔は後で幾らでも出来るさね』

 自分が今できる最善のこと──とにかく、知識を得ることだ。時間は無駄にできない。
 もしも来たチャンスを呆けて待っていたら、そのチャンスを無駄にするかもしれない。

 

 しばらく政治の教科書を読んでいると、もう夜が明けていることに気がついた。午前七時半。
 ドアをノックする音が聞こえる。ハールが朝食を持ってきてくれたのだろう。
「入るよ。
 ……おや、もう起きてたのかい」
「ええ。なんだか、早くに目が覚めちゃって」
 しおりを挟んで本を閉じる。
「早起きは三文の得、と昔の人は言ったものさ。
 ああ、そうそう。デリング大統領が朝食を食べ終わったら部屋に来てくれ、だそうだよ」
「大統領、来てたんですか……!?」
「昨日の夜にね。ほら、早く食べとくれ。スープが冷めちまう」
「……はい。いただきます」

 

 小型モニターに流されるニュースを見ながら、もそもそとパンを頬張る。ニュースキャスターが、ようやく北海道の獣人国家が制圧されたと言う。
 一体何人の人々が死んだのだろう。一体何人の獣人が死んだのだろう。涙が出そうになった心を、ジャムを塗りたくったパンを押し込んで誤魔化した。
 少しむせた。

 ミナはこのアメリカ大使館内では、常に護衛をつけられている。
 護衛というよりは見張り役で、ミナが一部の部屋以外のところへ行こうとすると、さり気なく止められる。
 もちろん外に出ることはできない。大統領の許可無しでは、ミナは大使館という籠の中からは出られないのだ。

 

「ミナ様、朝食はお済みですか」
 その見張り役──自ら『監視者』と名乗る、染めたような黒い髪をしたスーツ姿の少女が、ノックもせずに入ってきた。
「あ、おはようございます」
「おはようございます、ミナ様。朝食は終えたようですね」
 有無を言わさない口調。最初はミナは、この自分と同じくらいの年齢の少女を好きになれなかった。
「大統領がお待ちです」
「はい、わかってます」
 今も、あまり好きになれずにいる。この少女、時々ミナのことをまるで仇を見るように睨むのだ。
 以前一度だけ本名を尋ねたが、「つまらない名前ですよ」と返され、ミナは今でも彼女の本当の名を知らない。

 大理石で組み立てられた広い廊下を、右斜め前に監視者、左隣にハールと並んで歩く。
 ミナが入ることを許可された部屋はほとんど無く、ミナが寝泊りしている来客用の部屋と書庫、資料室、あとは庭程度である。
 一応大統領の部屋に入ることも許可されているようなのだが、正直ミナは入りたくない。

 

「大統領閣下、ミナ様をお連れいたしました」
 監視者がドアをノックする。どうやらこの少女、大統領がいる部屋以外のドアはすべてノックしないで開ける癖があるらしい。
 何回かドアをノックするが、返事は来ない。
「閣下、入ります」
 監視者がドアを開ける。ミナの視界に、大統領用の部屋の内装が見えてくる。
 絢爛な装飾がされた部屋はミナの部屋とあまり変わらず、こうして普通に部屋を見渡せばデリングが魔女っ娘を愛でる趣味があるなどとは誰も思わないだろう。
「……いませんね」
「待ちましょう」
 監視者は部屋の中央で直立不動で立ち、ハールは壁によりかかった。
 ミナはふと、写真立てが机に置かれていることに気がついた。
 誰のだろう? 覗き込んでみると、そこには優しそうな微笑みを浮かべた女性が写っていた。白い清楚な服に身を包み、日傘を差している。
 そのお腹は膨らんでいて、どうやら妊婦のようだ。この女性のイニシャルなのか、写真の端に『M』と書かれている。

 ミナは、この女性の顔をどこかで見たような気がした。

 

「やあ、ミナ君おはよう。すまない、急に用事が入ってしまってね。おや、私の勧めたはづきたんの服は着ていないのか?」
 ドアがばたんと開かれて、ワイシャツ姿のデリング大統領が入室する。
「あっ……おはようございます」
 ミナは礼をしようとして、デリングがつかつかとこちらに向かってくることに気付いた。デリングの科白の後半部分は無視した。
 用があるのはミナではなく、写真立てらしい。女性の写真が入った写真立てを掴むと、写真立てを倒して、写真が見えないようにした。
「閣下……?」
 倒した写真立てに手を置き、視線を空中に漂わせていたデリングに呼びかける。
 デリングは「パパ」と呼んでほしいようだが、ミナは頑なに「閣下」という呼び方を続けている。
「……ああ、いやすまない」
 慌てて、笑顔を取り繕う。
 ミナはこの男の笑顔を見るたびに、その笑顔が作り物にしか見えなくて、何か暗いもやが胸の中に溜まって行くような感覚に襲われるのだが、
 今の大統領の笑みは、何故だか作り物には見えなかった。
の写真なんだ。……これしか持っていなくてね」
 ミナは、はじめてデリングの人間らしい顔を見た気がした。

「さて、ミナ君。早速だが、あと三日ほどで名古屋城の再建が完了するそうなんだ。
 そこで! 君には名古屋城に住んでもらうというのはどうだろうか?」
 荒廃した大名古屋国跡、かつて建っていた名古屋城を再建している光景は管制塔から見たが、あれは完成に一ヶ月は平気でかかりそうな代物だ。
 それがあと三日とは……。
「…………」
「ん? 嫌かい?」
 すでにデリングの笑みは、ミナの嫌う顔になっている。
 吐きそうになるくらいの嫌悪感を必死で押し込める。断っても、どうせ無理にでも住まわせられるのだ。ここは、断らないほうがいい。
「……いいえ。ですが、一つだけお願いがあります」
「ほう、なんだい?」
「住む場所が変わっても、本は読み続けたいんです。だから……」
 最後まで言い切る前に、デリングが許諾した。
「もちろんいいとも! そうだな、お望みであれば国立図書館まで車で送らせよう!」
 ミナには、許可された場所に図書館が追加されただけで、今の監禁生活となんら変わりがないのだとしか聞こえなかった。
「……ありがとう、ございます」
 デリングへの嫌悪感が顔に出そうになって、慌てて顔を伏せる。
「私も一週間ほどは名古屋国にいられる。それまでは親子として、家族として過ごせたら私は嬉しいよ」
 親子として過ごせるわけがない。ミナの父親は本田宗太郎ただ一人であり、ミナの家族はリリィやユーキンたちなのだ。
 心の中にどす黒いものが溜まっていく感覚。このどす黒いものが外に溢れたら、自分は一体どうなってしまうのだろう。
 ハールの同情のような視線と、監視者の憎悪のこもった視線を受けながら──ミナは、泣きたくなった。
執筆者…夜空屋様
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