リレー小説4
<Rel4.神野3>

 

 

 やがて三人の会話が進む。
 少女──リライの口数は少なかったが、
 漫才のようなハインツと神野のかけあいに応じるように、少しずつ、言葉を紡いでいた。

 

 好きな食べ物。
「やはりあれだね。パセリは病み付きになるよ」
「本当に苦いもの好きだなお前。
 ピーマンを生でそのまま食える奴お前しか知らんぞ、
 というかパセリを喜んで食ってる時点でなんか味覚おかしくなってるだろ」
「パセリもピーマンも食べたことないなぁ。出されるのはみんな味が無いんだもの。
 あ、でもときどきケーキを食べさせてくれるよ」
「うん、可愛いなぁ」
「甘いもんは時々食うと旨いんだよ。一週間甘いものだけ食ってみろ、吐くぞ」
「……吐くの?」
「吐くの?」
「なんで意外そうな目で俺を見るんだよ」
「そういえば神野、君は辛党だっけ」
「ん、まぁな」
「ねぇ、辛いものを食べると火を吹けるようになるって本当なの?」
「…………」
「ああ! 可愛いなぁもう!」

 

 本棚に置いてある本の話題。
「へえ、なかなか面白い本を持ってるね」
「ラヴクラフト全集、クトゥルフ神話大全、火星神話考察、世界の神話……
 なんか神話関係ばっかだな。こんな難しいの分かるのかよ」
「文字は『しっぽ』さんに教えてもらったから」
「ふうん。……しっぽ? 誰?」
「私にいろいろ教えてくれた人。ものすごく背が高いんだ。それで、しっぽみたいなヒトなの」
「背が高い……んで、しっぽォ? まさかなぁ……」
「神野、心当たりでもあるのかい?」
「いや、別に。……しっかしなんだ、火星とか世界の神話とかはわかるんだが、なんだよクトゥルフって」
「クトゥルフ神話。
 クトゥルー神話、ラヴクラフト神話とも呼ばれる神話体系さ。しかし神野、君はもうちょっと本を読んだほうがいいよ」
「やかましい」
「ちなみにだが、最近面白い説があるんだ。
 『ラブクラフトの小説はノンフィクションだった』っていう説がね。僕はこの説を推すよ」
「……さっぱりわかんねェ」
「私も」

 

 嫌いな動物。
「ヘビは嫌いなのか?」
「本物を見たことがないからわからないよ。たぶん、別に嫌いってわけじゃないと思う」
「にしてはラミアって名前が嫌いみたいだよね」
「……あいつら、私のことを、失敗作ってよぶんだよ」
「? 話が見えねぇよ。もうちっとわかりやすく」
『あいつら』は私のことを失敗作とか、欠陥品とか、そう呼ぶんだもの」
「…………?」
「ところでハインツ、なんでラミアって名前がお気に入りなんだよ?」
「だって上半身が女の子で下半身が蛇ってのは、イイじゃないか」
「この変態め」
「このへんたい」
「へーんたい」
「へーんたい」
「なにこの変態コール? 僕そんなに悪いことした?」
「きっとコイツ、パソコンの中はそーゆう画像ばっかりだぜ」
「というか上半身女で下半身蛇の像とか持ってそうだよね」
「実はもうすでに人体改造とかしちゃってんじゃねぇか?」
「家には何人もの改造された女の子がいるんだね。怖いね」
「君らいつの間にそんなに仲良くなってんの!?
 というか僕はさすがにそこまでマッドじゃないしそんな技術も持って無いよ! ひどいよ言いがかりだ!」

 

 それは決して、長い時間過ごしていたわけではなかった。
 この部屋に時計は無く、リライと名付けられた少女は、研究員や『彼女』がいつも同じ時間に来ることを知っていて、
 それで時間を計っていたことを神野やハインツが知るはずもなかった。
 そして、リライという少女は、誰かとこのような会話をすることなどなかった。いつも誰かとの関係は一方的だった。
 研究者も。同じ顔のあの少女も。背の高いあの女も。向こうが勝手に喋るだけ。
 時々渡される玩具たちも。いつも自分が語りかけるだけ。
 だから、誰かと時間を共有することを、彼女は知らなかったのだ。
 だから、楽しいと思えることをしているときは時間を短く感じるという奇妙で日常的な感覚を、彼女は知らなかった。
 ……彼女がそれを知っていたとしても、神野やハインツにそれを教える義理などないのだが。

 その時間帯は、いつも『彼女』が、同じ顔をした彼女が来るということを────

 教える義理もなかったのだから、それは必然なのだ。

 

「ネズミが、」

 神野はすぐに気付いた。
 ハインツとリライが遅れて気付いた。
 神野とハインツは驚いて、リライは驚かなかった。

「──紛れ込んでいたようですわね」 

 

 彼女とリライは、まったく同じ姿かたちをしていた。
 着ているドレスの細部、首輪の有無、髪の長さ、雰囲気という違いはいくつもあったが、その顔立ちは双子のように同じだった。
 肩まで伸びた黒い髪に、それを結ぶ緑のリボン、群青色のゴシックなドレス。
 その姿はその場では何かの冗談のようなお嬢様といったいでたちだが、
 神野もハインツも、その童女がまるで世界を飲み込む蛇か何かで、その口に飲み込まれそうな錯覚を覚えていた。
 二つあるうちの片方の扉から現れた彼女は、薄く嘲笑うような微笑みを浮かべ、
 遥か底を見下すような眼を向け、謳うように囁くように言う。

「あなたはそのままであればよかったのに」

 それに応えるように、リライも呟くように言う。

トリア。これはきっかけなんだよ。
 私が、あなたたちを消し去るきっかけ。私はきっかけを手に入れた。これでようやく宣言できる。
 ──私は、あなたたちを世界から消し去ってやる」

 彼女は、何がおかしいのか、小さく笑った。出来るものならば、と言い放つかのように。

「くすくす──そんな戯言は、せめて樹を蝕むニーズヘグになってから言いなさい。──ハシム

 トリアと呼ばれた彼女が、扉の向こうで待機していた者の名を呼ぶ。
 チ、と神野が舌打ちする。扉の向こうから現れた男の名を彼は知っていたからだ。
 毛が一本もない皺の入った頭に、魚のように飛び出した目、
 ぼろぼろの布切れをまとうその老人ハシムは、レギオンの中でもトップクラスでの術の使い手だ。
 その実力が認められて、彼にセイフォートの肺が移植されたことは神野はよく知っている。
 そして、自分が最も苦手な相手であることも──よく知っている。
「フム……神野か」
 ハシムはそのギョロリとした眼を向け、しわがれた声で呟いた。それに神野が返す。
「ようハシム。おまえいつからロリコンになった?」
「その口は変わらんな。……して、トリア殿よ、私が為すべきことは何かな?」

「全員、逃さず捕らえなさい」

 トリアの宣言と同時に、彼女の眼前に現れたのは、──女の子。
 神野がリライの玩具の女の子を投げ飛ばしたのだ。

「『其は幾億の矢をも遮る盾なり』

 すぐにハシムが魔法壁を張る。女の子は空中で壁にぶつかったように弾かれ、そのまま息絶えた。
 ハシムが展開する見えない壁に血が飛び散る。
 だが神野は、もう一人の玩具──玩具箱で虚ろな眼をしていたもう一人──を投げ飛ばしていた。
 ハインツがその腕の中にリライを抱きかかえている。

「ムゥッ!」

 魔法壁に投げ飛ばされた玩具は再び弾かれ、もう一人と同じ末路を辿る。
 そしてそれは、時間稼ぎをするには十分だったようだ。
 リライを抱きかかえたハインツが、トリアの横を走り抜ける。そして神野も目に留まらぬ速さで、狼の躯まで走る。

「逃がさん! トリア殿、しばし護衛の任を放棄することを許されよ!」

 風でも操っているのだろうか、床を滑る様に神野たちを追うハシム。


 一人残されたトリアは、それでもその嘲笑うような笑みをいつまでも浮かべていた。
 躯が三つ横たる部屋に一人、彼女はまるで世界にでも語りかけるように呟く。

「全てが無駄であることを知りなさい欠陥品。
 あなたがその細腕で足掻こうが、何もかもを飲み込み流れ続けるのですわ────」
執筆者…夜空屋様

 白い廊下を走る神野。その背中にはハインツがしがみつき、その手の中にはリライを抱えている。
 結局のところ、ただの一研究者であるハインツが例外からもれず体力無しであったために、
 二人並んで走るよりも、こんな間抜けな格好で神野一人が走ったほうが速いのであった。

「ハシムはどうだ!?」

 神野が叫ぶ。ハインツは顔だけ後ろに向け、後方から滑るように迫る老人の姿を確認した。

「追いかけてるねぇ! どうするんだい!」
「逃げる! 俺はアイツ苦手なんだよ!」
「『其は不遇の土なり』」
「ゲッ!」

 ハシムの声が静かに響く。それと同時に床に亀裂が入った。
 それは一気に広がり、あっという間に神野の走る床がはるか先まで深い谷と化す。

「どうするんだよこんなの!?」
「口閉じてろ! 舌噛むぞ!」

 神野がとった行動は、

「……ム」
「らああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 壁を走っていた。
 重力に逆らってそのまま天井、反対側の壁と、一気に走りぬけ、谷の向こう側に辿りつく。

 無茶苦茶である。遠心力がどうとかというか、神野が人間ではなかったからできた芸当だろう。多分。

「いよっしゃあああぁぁぁぁぁ!」

 勝利の咆哮。何に勝った叫びなのかは神野しか知らない。
 ちなみにハインツとリライは舌を噛んでいた。

「『其は世界樹の根なり』」

 ハシムの詠唱。
 どこから伸びてきたのか、恐ろしく太い木の根が、谷を埋めていく。

「まだ終わらねぇのか、鬼ごっこはよう!」

 勝利の叫びが、怒りのそれへとなる。
 神野は再び走り出した。 
 やがて、鉄の扉が見えてきた。
 『厚さ』十メートル近い堰が、神野たちをここから出すまいと立ちふさがっている。

「ハインツ!」
「オーケー!」

 ハインツが神野の背中から降り、パスワード入力装置に向かう。
 リライが神野に訊ねた。

「パスワード、知ってるの?」
「知らねェよ。もちろんハインツも知らん」
「え」

 大丈夫なのか、と心配そうに見るリライに、神野が言った。

「ぶっちゃけるとハインツも能力者でな、
 ああいうパスワードとか暗号とかの防壁は、あいつの前じゃ紙同然なんだよ」

 そう言い終わると同時に、鉄の扉が沈み始める。

「よし、これで脱出──あれ?」

 鉄の扉は、3/4ほど沈んだところで止まってしまった。

「プログラムなど簡単に書き換えられる。当然のことだろう?」

 追ってきたハシムが間合いをとって止まる。ギョロリとした眼が神野を見ていた。
 逃れられない。
 鉄の扉は再び浮き上がり、完全に通路を閉ざしてしまう。
 おそらく、この扉を動かすプログラムをどこか別の場所で書き換えられたということなのだろう。
 後ろは鉄の扉、前はハシム。

「戦うしかねェか……!」

 リライを降ろし、構える神野。ハインツとリライは神野の後ろに隠れる。


「戦う? 何を勘違いしている。これは戦いではなくただ一方的な捕獲作業だ」


 空気が一変した。
 三人とも、すぐに異変に気付く。

「我が『神域』において、私以外に肺の活動を行うことは許可せん。酸素無き身体は辛かろう」
「息が……ッ!」

 神野も、ハインツも、リライも、空気を吸うことができなくなっていた。
 咄嗟に神野がハシムに飛び掛るも、あっさりと魔法壁に防がれる。

「おとなしく意識を手放せ。気を失った者の呼吸を止める真似はしない」
「…………ぁ!」

 

 それは、唐突に起きた。
 ハシムは自分の目を一瞬疑ったが、すぐにその光景を理解する。
 三人の姿がぶれ、まるで最初からいなかったかのように消えたこの現象を、ハシムは知っている。

「あの学者風の男……ではないな。神野も違う。あの童か」

 瞬間移動系の能力。
 別の場所へ一瞬で移動する、貴重な能力のことだ。
 一般にテレポーテーションだとか空間転移だとか呼ばれているが、能力使用の反動は大きい。
 たとえば何らかのルールに従っての移動、もしくは制約付きでもないと瞬間移動を連発することはできない。
 ある程度空間を弄るのだ。相応の代価は支払わなければならない。
 ハシムが知っている中でも、瞬間移動を連発するほどの技術と魔力を備えている実力者は
 イルヴ・ロッド・ヴェインスニーク、ゼロこと高宮・零土くらいしか聞いたことがない。

「しかし、まだ未熟」

 魔力の残滓を感じ取り、移動したであろう場所を探る。
 あの少女、リライは恐らく呼吸を止められた苦しさから感情のままに能力を使ったのだろう。
 ……遠くはない。ほんの数十メートル。

「この鉄門の向こう側か。……『我、行かん』」

 ハシムの姿も消えた。
執筆者…夜空屋様

 それは、唐突に起きた。
 神野は自分の目を一瞬疑い、そしてすぐには理解できなかった。
 視界がぶれて、気付くとあの人外のミュージアムの廊下にいたのだ。
 息も出来る。ハシムの能力圏外に出たらしい。

「な、何が起きたんだァ……?」
「こ、これ、まさか瞬間移動?」
「瞬間移動? マジか?」
「いや、そうとしか……もしかして、リライ、君なのかい?」

 目をぱちくりさせる二人の視線を受けて、リライも目をぱちくりさせた。

「えっと、さっきのこと?
 あれくらいだったから、なんとかできたんだけど、そんなにたくさんは使えないよ?
 三人まとめてってのは、ちょっと疲れるから」

 神野もハインツも目をぱちくりさせたままだった。ハインツが訊ねる。

「……いや、ちょっと疲れるだけなのかい?
 普通、瞬間移動ってのは、ものすごくエネルギー使うものなんだけど」
「そうなの?」
「そのはずなんだけどなぁ」
「私は平気だよ?」
「……君、実は凄い子?」

 そういえば、と神野は思い出す。
 この組織にもなんか三人組で、三人とも瞬間移動を使うみょうにクドい連中がいたっけなぁ。

「まぁいいや。すぐにここを離れるぞ。あいつが追ってくる」
「もう追いついたぞ」

 しわがれた声に振り向くと、ハインツがいつの間にか倒れ、その上にハシムがいた。

「『其は金糸の繭なり』。……まず一人」

 倒れたハインツを金色の繭が覆う。

「ハインツ! ……畜生!」

 リライを脇に抱え、再び神野は走り出す。
 何から逃げているのかわからない。
 まだ追い続けるハシムからか、人外どもの視線からか。それとも、どこから来るのかわからない恐怖へか。
 ただ、脇に抱えたリライの体温だけが、神野の意識の中にかすかな灯りをともしていた。 

 

 リライを背負ったまま、薄暗い廊下をひたすら走る。
 進入するときはそう長くはなかったはずなのに、
 脱出する今はひどく長く感じるのは──恐らく、ハシムがそういった術をかけているのだろう。
 ハインツが捕らえられた事実に、神野は、そんなにショックを受けてはいなかった。ひどい友人である。
 だが、まぁ、こんなことを続けていればいずれはこんなことになったのだ。殺されなかっただけマシというものだろう。
 ハシムの『金糸の繭』は捕獲の術らしい。神野は以前に一度だけ見かけたことがあり、その存在を知っていた。
 というかそもそも、二人は同じ部隊に所属していたのだ。
 相手のことは多少なりとも知っている。だが、お互いの奥の手は隠したままだ。
 だから今回は、相手の奥の手を知る唯一の戦いと為るだろう。そのためにも広い場所が必要となる。

「ねぇ」

 不意に、リライに話しかけられる。

「なんだよ」
「どうして私を連れ出したの?」
「ンなことどうだっていいだろ」
「教えて」
「だからどうだっていいじゃねぇか。大した理由なんざねぇよ」

 迷惑そうにぼやく神野。リライはそれでもわからない、と言う。

「理由も無く裏切るの?」

 リライは、ハインツと神野がこの組織を裏切ったことを知っている。何故ならハインツが暴露したからだ。

「裏切るのにすら理由が必要かよ。……あー、まぁ、そーだな。じゃあ、気に食わなかったってことで」
「じゃあって……」

 理由なんざどうとでもなると言う神野に、リライは呆れたように息を吐く。
 なんにせよ、リライの瞬間移動能力を封じ込めていた鎖付きの首輪は神野によって破壊され、
 同じ人物によってリライはこの施設を脱出しようとしている。
 恐らく、とリライは思考する。あのハシムという老人はトリアの傍にいたのだ、なんらかのSSを得ている可能性が高い。

「(私はあいつらみたいにすぐには把握できないからなぁ……)」

 円卓にすら座れず、権利を持たないものは、その残滓を貪る他に手段が無い。
 だから、その手段を試してみよう。
 いずれは神野はハシムに追いつかれ、自分も彼も捕らえられてしまう。ならば、可能性に賭けてもいいだろうか。

「飛ぶよ」
「あぁ? うぉっ!」

 視認できる廊下の先へ瞬間移動、そこから再び視認できる範囲で瞬間移動を繰り返す。
 ビデオの早送りのように進んでいく実像はあっという間に廊下の端にたどり着いていた。
 遮る扉には当然のように鍵がかけられているが、そんなものは今の自分に意味などない。
 もう一度瞬間移動して、扉の先へ。そこには階段があり、その上が地上なのだろうか。
 こんな階段をいちいち上っている暇などない。リライは息を吸い込んだ。
 再び瞬間移動を始める。目視できる場所まで一気に飛び、そこからまた飛ぶ。
 それだけであっさりと階段を上りきり、また立ちふさがっている扉も飛び越える。
 たどり着いた場所は、正方形の広大な部屋だ。
 唖然とする神野の背から飛び降り、リライは息を吐いた。

「疲れた」
「……ンなことできんなら、最初からやってくれよ」
「三人でやってたら途中で私倒れてたよ」

 向き直り、神野に向けて手をかざす。これは賭けでしかない。
 しかし、ハシムに、そしてトリアに対抗するためには、こうするしかない。
 眉にしわを寄せる神野を無視して、リライは謳う。
 僅かな罪悪感と、大きな期待と希望を込めて謳う。

 

 

「限りある者よ我が身を呪え。限りある事が齎す終焉に涙せよ。

 

 限りなき者よ我が身を呪え。限りなき事が齎す永焉に涙せよ。

 

 我等が歩むは桎梏の世界。踏み締める大地は奈落へ転じ、手を伸ばす空は果てしなく遠い。

 

 神の遺シ羽根を辿りて牢獄たる世界より逃れ得る楽園の扉希わん。

 

 なれ、吾が御名の下、真実を指し示せ──
 ……って、あれ?」

 

 

 強烈な違和感に、詠唱を止める。
 なんなんだよと神野はぼやくが、リライは信じられないものを見るような目をしていた。

「……あなた、もしかして」
「だから、なんなんだよ?」
「セイフォートの……、骨?」

 なんでわかったのかと神野が言い返すが、リライはそれを無視して落胆したようにため息を吐く。

「おまえさ、さっきから何がしたいんだよ?」
「あなたに……力を与えようとしたの。でも、とっくに持ってたってこと」

 あー、と神野は無理やり納得したような顔をした。

「……あー、なんとなくわかった。
 さてと、んじゃおまえ逃げろ。その能力ありゃどこへでも行けんだろ?」

 よっこらせと立ち上がり、面倒くさそうに言う。
 リライは小さく頷き、踵を返した。
 なんで、とか、どうして、とか、そんな言葉は必要無い。
 神野はリライを護りながら戦うなんてまどろっこしいことは出来ないし、そもそも護る理由も無い。
 なんでここまで連れ出したかもよくわからないのだ。
 そしてリライは神野に構ってはいられなかった。
 今すぐにも追っ手は迫っているし、すぐにでもこの場所から出たかった。外の世界を知ってみようと思えたのだ。
 神野と捕らえられたハインツに思うことはないわけではないが、彼女の中ではそれよりも強い願いがあった。
 ふと、神野は何か言おうと思ったが、自分でも何を言いたいのかわからなくなって、リライの方を振り返った。

「そういやおまえ、なんて名前だっけ?」
「──リライリライ・ヴァル・ガイリス蛇たちとは違う、私だけの名だよ」
「あっそ。俺は神野緋貝っつーんだ。まぁ、縁があったらまた会おうぜ」

 その言葉を聞いて、リライは、その場所から消え去った。
 それを確認し、向き直る。不気味な相貌を向ける老人ハシムが、扉を開けて広間に入ってきた。

「神野か」
「『骨』って呼べ。今決めた、神野緋貝なんてふざけた名前は捨てるわ」
「ふざけているのは貴様だろう。名は生命に匹敵する大切なものだ、それを捨てるというのは命を捨てると同義」
「あァ? 知るかボケ」

 神野の蹴りが、容赦も遠慮もなくハシムの顔面に迫った。
 一発目の蹴りを見えない壁に防がれ、さらに叩き込む拳もハシムの顔面には届かない。
 だがそれでも、神野は愉しそうに笑っていた。

「ハハッ! 硬ェなァ!」
「無駄だ、我が障壁は決して破れぬ。
 力を得て増長したサルが、自らの驕りを知れ。……!」

 神野の姿が消え、ハシムが真後ろに飛ぶ。
 その瞬間、先ほどまでハシムがいた場所に神野の踵落としが真横から襲い掛かっていた。
 神野の踵が、床を粉砕する。

「おお? いい反応してんじゃねーか」

 ぐぅ、とハシムは唸った。
 老いた身体を魔力で動かしている身において、
 単純な身体能力に頼る神野に負ける道理は無いと踏んでいたが、どうやらそうもいかないらしい。
 ハシムは元よりその身体に膨大な魔力を溜め込んでおり、その魔力で人形を操るように身体を動かしている。
 そうすることによって普通の人間では為し得ない芸当をこなし、
 頭と心臓さえあれば身体すら無くとも存在していられるレベルにまでなったのだ。
 さらにセイフォートを得てからは、そのしわがれた肉体ですら常人を遥かに超えた力を発揮できるようになった。
 たとえ脳だけになろうとも魔力を行使し、心臓と肺があれば何十年と積み重ねてきた魔法を放つことができる。
 今ここで魔力を解き放てば、それこそ神野を完全に消し去ることもできるし、複数のSS相手にもひけはとらないという自信があった。
 しかしこの神野、身体能力のみに頼ったこの男は、速かった。
 腕力の強さは関係ない、そんなものは障壁で簡単に防げる。
 しかし問題は、この男の動きがハシムの認識に追いつかないほど速いことなのだ。
 認識の外からの攻撃は、どんなに研鑚を積んだ者でも防げるものではない。
 つまり不意打ちということなのだが、この不意打ちが厄介なのである。
 予想だにしていない方向からの攻撃に完璧に対処などはできない。
 人間の認識は意外と狭く、ある一方に意識を集中すれば、別の方向で起きたことを認識できなくなる。
 手品や格闘技のフェイントがいい例だろう。
 神野の先ほどの動きは、蹴りや連打でハシムの意識を前方に集中させ、一瞬で側面に回りこんだ、ということだろう。
 ただ、神野がそれらの行動を意識的に行ったとは考えにくい。
 再び神野の拳が迫る。様子を見るなどということはせず、一瞬の暇すらも与えない。
 神野はまるで反射行動のように──熱いものを触れば手を離すように攻撃してくる。
 ならば、認識の外から攻撃する暇も与えなければいい。

「『其は天地創生よりこの世に在りし炎なり』!」
「おお!? あっちぃ!
 ハシムの周囲から炎が噴出する。神野は拳を引っ込め、一気に間合いをとった。
 だが、今度は神野の周囲から炎が噴出した。

「うおっ!?」
「爆ぜよ!」

 爆音。
 宣言と共に、何もかもを飲みつくす地獄の業火のごとき爆発と黒煙が部屋すべてを覆い尽くした。
 もちろんハシムは障壁を展開している。
 普通の人間ならば一瞬で跡形も残さず灰となりかねない炎、しかしこれでもまだハシムは全力を出してはいない。
 トリアからは生かして捕らえるようにと言われていたが、SSである神野ならばかろうじて生きてはいるだろう。
 そう考えながら黒い煙を風で払った。
 神野の姿は無い。まさか、本当に跡形も残さず灰となったか。

「……いかんな。ちと火力が強すぎたか」


 瞬間、ハシムは殺気を感じ、振り返る。
 神野がいた。

「よう」

 一気に地面に叩き伏せられ、肺を上から抑えられてしまった。呼吸ができなくなる。
 魔力を放とうと手を掲げるが、その手は肩からもぎ取られた。
 まずい、と奥の手を──セイフォートの肺に備わった力、『魔王降臨<ゲーティア>』を使い、神野の持つ生命エネルギーを吸収しようとするが、
 吸収する前に異形のものと化した神野の口がハシムの視界を覆い、
 そこで、途切れた。

 

 奥の手は神野もハシムも持っていたが、その奥の手を活用できたのは神野の方であった。
 神野は「格闘能力に関しては最強」とはいわれていたが、それはSSを得てからの話であり、それまでを無能力者でいたわけではない。
 もともと神野が所有していた本来の能力「硬化」が、神野の奥の手である。
 セイフォートの骨の特性に絡めることで強化された「硬化」は、それを発動している間は一切の動きを封じられる。
 だが、代わりに絶対的な防御力を得る。
 爆発の瞬間に硬化し爆風を防ぐ。その後すぐに硬化を解除し、ハシムの背後に回る。それが先ほど神野のとった行動だ。
 ハシムはあのとき油断した。跡形もなく灰にする炎を放ち、対魔法に対して非常に脆いといわれていた骨──神野を見縊っていた。
 はたして力を得て増長したのはどちらだったのか。
 神野はハシムの肉片全てを飲み込み、吼えた。さらなる力を得て喜ぶ、子供のように。

 

 

「はいそこまで」

 子供のような骨の異形はあっさりと、たった一人の少女の細腕によって叩き伏せられていた。
 さらに床から突き出した剣が刺さったかと思った瞬間に地面と同化され、すべての行動権を奪われる。

「あ?」

 あまりにも唐突なそれに、神野は思わず間抜けな声を出していた。
 そんな神野を、三人の眼が見下ろす。

「まったく、忙しいんだからいちいちつまらないことに時間を食わせるなよ」

 青髪の青年がぼやく。
 異形の神野を叩き伏せた少女はぼんやりとした目をしたまま、興味が失せたようにあっさりと立ち去っていった。
 長身の女が近づく。神野はその女に見覚えがあった。

「わざわざ三人で出ることはなかったな……。で、どうするんだ? 此処ももう意味を無くしたぞ」
「そうねぇ。あのコはどっかいっちゃったし……破棄してしまいましょうか」
「コイツはどうする」
「セイフォートを取り込んだセイフォートなんて面白そうじゃない、しばらくは処分せずにしましょう。
 ……ああ、そういえばやたらウチに接触しようとしてる情報屋いたでしょ?」
「あー、なんていったっけ? やたら小物っぽそうな……まぁ名前なんていいか。
 ……バックを探るのに使うか」
「そうしましょ。そうでなきゃこんなの、ゴミにもならないわ」
「だな。さてと、これでまた仕事が増えたか……」
「お気の毒様」
「勘弁してくれ、これからすぐに地球に向かわなきゃならないんだよ」

 長身の女と青髪の青年の会話を聞きながら、神野は心の中でクソッタレ、と呟いた。 
執筆者…夜空屋様

 がらんどうの広大なステージに、一人の少女が立っていた。
 リライという名を得たその黒衣の少女は、何かを待つように目を閉じ、囁くように呟くように詩を謳う。
 だが、何度も何度も同じ詩を紡いでも、リライは満足したような顔にはならない。

 やがて、思いついたように、くすくすと笑った。
 そんな彼女に、誰かが声をかける。

「愉しそうですわね。
 羽も無いのに、そんなに籠から飛び出せたのが嬉しかったのかしら?」
「私はじゃあ無いよ。
 ──ああ、でも、嬉しいよ。これでようやく、あなたたちのすべてを塵芥へと還すきっかけを得たのだから」

 最初からそこにいたように、あるいは最初からどこにも存在しないように、
 広大なステージにはもう一人の少女が立っていた。

「大言壮語を吐くにしても、身の程というものがありますわ。弁えなさい欠陥品」
「身の程が無いのはあなたも同じ、でしょう。
 私と同じ肉の器を持ちながら言えた科白? ──下ばかり見下ろす鷲には、わからないか」
「あら、口先だけは達者ですわね。
 たとえ器は同じであろうとも、椅子にすら座れず、円卓から毀れた滓を食む餓鬼が言えた科白でもありませんわ」
「くすくす──羨ましがっているとでも思ってるのかな」
「あら、違うの?」
「ねぇトリア。私は名前を得たんだよ。欲していたものを得た私が、いまさら何かを羨ましがるとでも?」
「そう──それはそれは、哀れなことですわ」
「会話の無駄だね」
「そうですわね」

 沈黙。
 二人のステージに、観客はいない。
 やがて、リライが口を開いた。

「私の名はリライ。──リライ・ヴァル・ガイリス。私はこの名をもって、『姉』の亡霊を消し去ろう」

 もう一人は驚いたように眼を見開く。そしてくすくすと嗤い声を漏らした。

「滑稽ですわ。そう、リライ、あなたは道化にもなれない!」
「下ばかり見下ろしてないで上を見上げてごらんよ、吊り糸が無いか確かめてみなよ。
 あなたはただの操り人形だ」
「くすくす──ああ、面白い。愉快ですわ。ねえ、リライ」
「くすくす──つまらない。不愉快だよ。だよね、トリア」

 二人は微笑んだ。それは相手を見下すような眼で、微笑みかけていた。
 互いを嘲笑いながら、二人はひどく愉しそうに嗤っている。

 トリアは、たった今思いついたように、もしくは世界が生まれてからそれが決まっていたように、言った。

「チェスゲームをしましょう」

 リライは答えない。答えはとっくに決まっている。
 今決めたのか、それとも世界が生まれたときに決まっていたのか。



「先手はあなたにあげましょう。
 黄泉の深淵で足掻きなさい、遥か頂から嘲笑ってあげますわ、ニーズヘグ」

「先手はありがたくいただくよ。
 世界樹の天頂で威張っていなよ、遥か底から嘲笑ってあげる、フレースヴェルグ」



 二人の少女の嗤い声がステージで響き、

 やがて、誰もいなくなった。
執筆者…夜空屋様

 

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