リレー小説4
<Rel4.玄藩丞号7>
ネークェリーハ・ネルガル 火星地中海東部
「いっつ…ぐぐ………」 意識が徐々に戻っていくのと同時に、全身の痛覚も覚醒してゆく。 取り敢えず生きている。其れだけは確認出来た。 だが視界はまだ朧で平衡感覚も正常に機能してはおらず、自分の立ち位置すら解らない。 少しでも動こうとすると鈍いながらも痛みが全身を襲い、動くに動けない。 やがて不安と恐怖に押し潰されそうになりつつも回復を待ち、感覚が戻るや否や左腕と肋骨、鼻も折れている事を察知する。 「ぐっ……あのクソキメラ……ガはァ……絶対に許さん… …だが……此処は…一体……?」 周囲を見渡せば、一面の赤い荒野。 そして側を視界の彼方まで走っている光の誘導軌道が、此処が列車の走っていた線路である事を物語る。 漸く、自分が列車・玄藩丞号から放り出された事に気付き、 即座に其れを、意識を失う直前まで対峙していたナナシ・コールの仕業であると結び付け、 理不尽かつ身勝手な怒りに燃えるネークェリーハ。 「列車から落ちたのか…くそ、痛ェ……! とはいえ、この程度で済んだのは不幸中の幸い…というか奇跡だな。 ……あ……?」 鈍感なネークェリーハだがいい加減に気付く。 今、自分の下で血濡れとなっている其れに。 「しゅ……シュヴ?」 仰向けになったシュヴァンリー・ネルガルの上に、今までネークェリーハは倒れていた。 これだけネークェリーハが動いたり騒いだりしてもシュヴァンリーは何ら反応を返さないでいる。 其の姿は重傷を負ったネークェリーハよりも遥かに酷く、生きているのかどうかさえ定かではない。 黒髪のポニーテールは解け、顔共々真っ赤に染まっており、 特に左足はあらぬ方向へ折れ曲がった上で裂けており、早急に専門的な病院なりに連れて行かなければ二度と使えなくなるだろう。 「こ…これは……まさか私を…」 「彼女は貴方を助けたのですわ」 不意に横手から掛けられた声に、ネークェリーハが慌てて振り向く。 彼の視線の先にあったもの…其れは………
「咄嗟に術を使って反動で落下の勢いを殺しつつ、自身が貴方のクッションになった。 麗しい兄妹愛だこと。いえ…親子愛かしら?其れとも夫婦愛? クスクス…どれも適用出来ますわね。見境の無い人…クスクス」 いつの間に?何故、こんなところに? そんな疑問を『それ』は一言で蹴散らしてしまった。 東日本の旧東京ヤマノテ放置区『鉛雨街』にて誕生したネークェリーハの両親は、 よりにもよって実の子の手に掛かって其の人生に惨めな幕を下ろされる事となってしまった。 鉛雨街の誕生は結晶到来直後の大暴動時代にまで遡る。 能力者が非能力者による迫害を理由に起こした暴動で荒廃し、 当時の日本政府がこの土地を見捨てたところ、挙って荒くれ者やマフィアがこの地へと押し寄せた。 既に日本政府が見放した土地であるのだから、先にゴネた方の土地だ。そういう論法であった。 様々な組織が各所で興っては潰えてゆく。無秩序化は更に加速してゆく。 そんな中、当時の混乱期にあった鉛雨街を平定し、秩序を取り戻そうとしていた男が居た。 リー・ボーデン… 中華人民共和国を牛耳っていた大物マフィアのドンであったものの、 幹部の裏切りに遭い東日本へと亡命…暴動に巻き込まれ鉛雨街へ隔離されてしまう形となったのだ。 彼は持ち前の高い知恵、元組織の長としての手腕を発揮して自分の組織を結成… 中華人民共和国での騒動で争いに嫌気がさしていた為か、鉛雨街の秩序化に尽力した。 やがて鉛雨街で彼の妻は一人の子を儲けた…ネークェリーハである。 この世に生まれ落ちた瞬間に産婆へと襲い掛かっただの、10歳未満で強盗殺人婦女暴行をコンプしただの、 色々と理解に難い噂があるものの、其の9割以上が真実である。 無秩序の化身のような彼は、秩序を求めた父リー・ボーデンを疎ましく思い、 まだ幼少の頃、他組織へと内通・扇動して父の組織を総攻撃させたのである。 各組織が本丸へと突入したのを見計らってから、予め仕掛けておいた爆薬を用いて全ての敵対者を脅迫… こうして生まれたのがネークェリーハ組織であった。 父は既に逃げ出しており、母は捕虜とした。 ネークェリーハが母に対して行った仕打ちについては、 逃げた父を誘き寄せて完全にトドメを刺す為であるとか、各組織を恐怖で纏める為であるとか様々な見方がされてはいるものの、 真相はどうという事も無い。単に己の劣情が赴くままに奔走しただけであった。 シュヴァンリー・ネルガルの誕生にはそういったエピソードがあるものの、 何故、この不気味な存在がそんな事を知っているのか。ネークェリーハが警戒を強める。 「な…何だぁ?誰ですか?この私を誰だと思って…」 「身の程を弁えなさいな下男。 今の貴方はただの犯罪者。金も地位も仲間も持たないただの犯罪者」 笑ってネークェリーハの脅しを切り捨てる。 この発言より『それ』がネークェリーハの事情をかなり深くまで知っているという核心を掴み、 ネークェリーハはブラフをかませてみせる事にした。 「…仲間ならいますねぇ…!組織の者達が…」 「で、捨てられたのでしょう?ニューラーズに。 そうでなくとも貴方の役割なんて高が知れているものではなくって?」 「ぐ………」 もう間違いない。旧SFES関係者…しかもSLに匹敵する程の情報を有している。 一体、何者なのか?SL自身なのか?ネークェリーハは考える。 だがSLの存在すら最近まで知らなかった彼に出せる答えなどありはしなかった。 そんな風にあれこれと警戒するネークェリーハを面白げに眺め、 一頻り楽しんでから『それ』は本題を切り出した。 「わたくしが…救済して差し上げても宜しくってよ?」 「な…にィ?」 果たして其れは天使の救済か悪魔の誘惑か。 ネークェリーハの眼にはどちらとも取れなかったが、『それ』へ縋るより他の手を思い付く事もなかった。 今や犯罪者。アテネへもアレクサンドリアへも戻れず、餓死すら覚悟しなくてはならず、しかも重傷。 新SFESのニューラーズにとってはネークェリーハなどは然して重要な駒でもなく、 SFESであるというアピールの為だけの…外交上の御飾りでしかなかった。 既に幾つかの協力組織を得た以上…彼女達が態々ネークェリーハを探しに来るとは思えない。 詰まり、孤立無援。 だからこそ『それ』は正に救済者なのであった。 「わたくしの事も話してあげますわ。 貴方には是非ともやって欲しい事がありますから…貴方にしか出来ない事…貴方だけの仕事が。 …一先ず、此処から離れましょう。ゆっくり体を癒せる所に行くべきですわよ? さぁ…わたくしの近くへ来なさいな」 『それ』は妖しく微笑み、ネークェリーハへと手を差し伸べる。 …其の手を掴んだら、もう引き返せないかも知れない…ネークェリーハはそんな気がした。 だから喉に引っ掛かった其の科白を先ずは吐き出してみた。 「あの……シュヴ……は?」 「……見れば彼女は半死半生…これでは足手纏いですわ。 其れに、貴方の今の状況を考えると修理に行くのも躊躇われますわね? 家畜の一匹程度、放っておきなさいな」 「そ…そうですな……」 考えてもみればシュヴァンリーを連れて行ってもリスクばかりでメリットが無い。 何を馬鹿な事を考えていたのだと己の気の緩みを引き締める。 ネークェリーハが『それ』へと手を伸ばし、指先が触れ合い……交差した。 触れている。けど触れていない。 この不可思議な現象にネークェリーハが目を点にした次の瞬間、 其の場には血塗れのシュヴァンリーのみが残った。
執筆者…is-lies